⑭「何でも語り合えるクリスチャンの方々」編

【Iさん】【Tさん】【Aさん】;クリスチャン
【Sさん】【Mさん】;クリスチャン
【私】;hirachyuu


ご注意)
国会議員、クリスチャン、旧統一教会の方、超宗教の方、考え方は多種多様、右から左まで様々あります。【Iさん】【Tさん】【Aさん】【Sさん】【Mさん】も【私】も、その一人として意見交換した内容です。


【Iさん】
 私は2016年の終わりに日本基督教団日を退任。2017年の1月からハリストス正教会の信徒になった。「何故もっと早く抜けなかったのか。何故もっと早く気づかなかったのか」。


日本基督教団3つの特徴
①社会派と教会派の対立
 社会派は暴力で教団を支配。暴力で会議が支配される状況が1995の阪神大震災頃まで続いた。
 教会派は会議を尊重する立場。社会派は信徒と未信徒を区別せず。社会派は聖餐式に未信徒も参加させ。信徒と未信徒の区別をなくした。
 教会派は信仰告白を尊重。社会派は極端に言えば信仰を軽んじる形で牧師になることができるという主張。この対立が長く続き、両者の勢力は拮抗した。


 日本基督教団がおかしいなと思ったのは2015年、国会で平和安全法制が議論された時。この時、 社会派だけじゃなく、教会派の牧師までも平和安全法制に反対の声を上げた。
 しかも教会派の指導者たち東京神学大学の学長とか他の牧師たちが、左翼学生の運動を称賛する意見を言い始めた。


 この時、日本基督教団が「全体として左翼活動家の温床」になっていると気づいた。今になって振り返ると教会派は、暴力に反対していたが、反日左翼の主張には必ずしも反対していなかった。
 靖国反対、日の丸反対、君が代反対とか、 反日左翼の主張に、教会派も必ずしも反対というわけではなかった。結局、社会派と教会派の対立は、 左翼の内部抗争のようなものだった。
 これはもう見せかけの対立で、左翼対保守の対立ではなく、左翼の内部抗争のようなもの。なのにあたかも左翼と保守派の対立であるかのように見せかけていた。そうすることで、保守的な人々を留まらせていたんじゃないか。これが日本基督教団の実態だ。


 社会派の牧師たちは、牧師らしくない人が結構目立っていたが。教会派はいかにも牧師らしい人が多い。ところが牧師らしい人の中に実は本物の左翼がいた。それがこの日本基督教団の大きな問題だ。
 ニセ牧師は本物の牧師よりも牧師らしく振る舞っている。左翼の活動家が日本基督教団には潜んでいる。早く離れた方がいい。


【Tさん】
Iさんの意見に大いに賛同します。
私も日本基督教団の教会に育てられましたが、
私がコリャ大変だと思ってのは、平場とはいえ「天皇があるから差別がある」。と発言した牧師がいたことでした。

もちろんその可能性もゼロではないでしょうが、
では天皇のいない韓国や中国に差別は無いかと言えば、
日本以上に強烈にある。
なんとも差別を矮小化した左派の発想です。
御夫婦で牧師をし私財のホトンど全てを献金して教会活動をしていた方々なのにこの発言です。全てが吹っ飛びました。

それにタマタマかもしれませんが、説教がヤタラ難しい。
話にあげた牧師の婦人の方の牧師の説教だけで1時間。
その前の別の牧師の説教だけで1時間半。またその前の牧師の説教だけで2時間。
説教の中にユーモアなど全くなく、おそらく世間一般の大学の授業より難解だったと思います。
それでも誰ヒトリそれを指摘しません。どんどん信者は減って行く。回りの友人に相談したら「自分も難しい」と言う人ばかり。
たまりかねて私が説教の内容を分かり易くしてモラエませんか。
というと私の説教で難しいなんて有り得ない。難しいと思うのはソレはアナタの聞く姿勢に問題ありでしょ。と言われる始末でした。
その後、諸般の事情と在日韓国人と言うこともあり、在日大韓教会に移りやっと安住できました☺日本基督教団、難しい存在ですね😥


【Iさん】
 その昔は、捏造された情報に踊り日本という抽象物を相手に誹謗中傷、懺悔なきまま今に到る牧師もあまただから、信仰を珍仰に落とし込めたのが戦後のプロテスタント教会だったと断定しておきたい。(偽善どころの騒ぎじゃない!💢)


【Aさん】
 日本はサヨク牧師が言っているような「世界中から嫌われている悪い国」ではありません。
日本福音同盟もサヨクの巣窟です。キリスト教全体がサヨクの巣窟になっていると思いますね。
「私はクリスチャンだから国歌は歌えません」なんて言っている日教組の先生がいます。聖書には「君が代を歌ってはいけません」なんてどこにも書いてありませんよ。聖書の教えを自分達の都合が良いように歪めている訳です。
日本以上に欧米のキリスト教国はアジア、アフリカで酷い事をしてきました。それについて牧師達は何も言いませんね。


【Tさん】
 でもあの牧師夫婦は人としては悪い人では無いのですが、
学生運動上がりの価値観のお人好し左派なんでしょう。

左派が牧師をしてるのか?
牧師が左派をしてるのか? ですね😅



【Sさん】
 無神論者であった私は、神の顕示を受けてキリスト者になり。神の召しを受けて献身したが、先輩の牧師達に聞くと、牧師の献身召命がイマイチ納得できない人が多い。召しを受けずとも、牧師職は可能なのだろうか?


【私】
  統一教会も、奸臣拝金無神論パラサイトに、やられたと私は見ています。神主義、真の愛国者が立ち上がる気運があります。
よろしくお願い致します。


【Mさん】
  統一教会は発足当時から集金至上主義でした。
それでも収奪が目立たずに済んだのは、日本の右翼等からの援助があってこそ。豊富な資金を背景に一般信者へは些少ながらバラマキまでありました。
変化は金日成が文鮮明を招待、接見してから。
かつて北朝鮮部で布教中に弾圧され仲間を殺された文鮮明が反共から一転、民族統一主義者となり、北朝鮮への援助を使命とした。
そこでそれまで鋭く対立しあってきた共産党などが一目置くようになり、オウム等の新興勢力が目立ってきたこともあって、看過されるようになった。
日本の併合時代を悪く言ってきた戦後の左翼教育、それが最悪の形で顕在化したのが統一教会による日本人からの収奪だったと捉えます。


【私】
 Mさん、有り難うございます。
なるほど、鋭い視点、捉え方ですね。
統一教会は確か韓国1954年、日本1959年創立だったようにと記憶しています。創立から20年くらい経ってから、物販販売の経済活動が活発になってきたと先輩から聞きました。          

 私は文先生の生涯について1944年崔先吉女史と結婚、第一子を授かってから10年間の生涯ついて関心があり、研究中です。視点は、①洗礼ヨハネとユダヤ教がイエス様をメシアとして受け入れていたならば、イエス様の十字架はなかったのではないか?       ②文先生のこの10年の生涯は、イエス様の十字架と関連性があるのかないのか?です。あくまでも、私個人の研究です。 
         
 発足当時から献金至上主義であったと捉える松井さんの研究結果に、質疑したい事がたくさんあるのですが、書き切れそうにありません。
 Mさん、もしかして、元統一教会員だったのですか?元同士、会話が弾みそうですね。よろしくお願いします。ʘ⁠‿⁠ʘ


【Mさん】
   50年前、高校生なのに深夜バイトしていて、そこで知り合った大学生が彼女が統一教会で自分に振り向いてくれない、彼女に集会に誘われている、一緒に行ってくれないか?で半蔵門会館の集会に参加。
 国際勝共連合と同一と判りつつ、原始キリスト教を標榜し質素倹約を旨とすると理解しました。
ただし、先輩の彼女を含めてみんな目がイッちゃってる風で、自分もその時まで考えたことのなかった親や先祖との繋がりに気づかされつつイエス信仰へと傾きましたので、その後自宅まで押しかけるしつこい勧誘に対する親の拒絶がなかったら、自分とてどうなっていたかは判りません。😁
 逆に、統一教会の洗脳術に気がついた自分はマルクス等に触れ思いっきり左傾化(図書館で「今日のソ連邦」なる月刊誌の愛読者にw)、いい加減かつテキトーなので助かりましたが、右へ左へと日々目まぐるしく変わる極論妄想系にあったとは自覚します。😁
(結局、大学生は同大学内統一教会信者で集団結婚を望むよう洗脳されていた彼女を諦めました。当たり前ですが、高校生の自分は何の手助けにもなりませんでした。)


【私】
Mさん。真理を探求して来られたんですね。


【Mさん】
そんな大それたものじゃなく、自分のことすらできないのに、人のために生きてるフリしてきただけッス。(;_;)


【私】
「Mさん、私も同じです」
安倍総理の銃弾で、吹っ飛びました。(O ₋〇)ー≫


       




 【Tさん】
hirachyuu さんへ。
洗礼ヨハネとユダヤ教が・・とありましたが話を聞いてもらえますか。


イェス様の十字架の道は「定め」だったのです。


以前もドコかで投稿したのですが、
善悪の実を食べたことを知った神が蛇に言われた預言です。


「彼はお前の頭を踏みつけ、お前は彼の踵に咬むみつく」。(創世記3・15)
この時点でイェス様の十字架の道は定められたのです。
全ての罪は「善悪知る木の実=人知」です。
神の価値観ではなく、
人が自分=人知=人間の価値観に成って立ってしまった事です。
これで神と人との間は断絶してしまったのです。


この断絶を無くすには誰かが、「命懸け」「魂懸け」の生贄と成って神と人との間を執り成すしか無いのです。
それは人からでもメシアからでもなく、神様からの要求なんです。

ユダヤ教の指導者も人知の判断で、メシアは再びダビデ王国のような強大な王国を打ち立ててくれる存在だと勝手に信じていましたが、イェス様は「人々がやって来て、王にするために自分をむりやり連れて行こうとしているのを知り、ただ一人また山に退かれた。」(ヨハネ6・15)とあるようにそれを否定されてます。


イェス様が地上の王ではなく、全人類の魂の救済(罪の赦しと肉体の復活)に来たのを誰も分からなかった。
残念ながら人知ですから無理からぬ事です。


洗礼ヨハネもこう言っています。
「・・花婿の友人(洗礼ヨハネ)は傍らに立ち、耳を傾け花婿の声を聞いて大いに喜ぶ。それで私は喜びでいっぱいである。
あの方は栄え、私は衰えなければならない。」(ヨハネ3・29~30)自分の役割、イェス様の役割をを知っていたのですね。
しかし、ルカではその後イェス様に躓いた事も書かれています。ルカ7・18~23「まさに義人はいない1人もいないです」


hirachyuuさん。
ここに上げた何ヶ所かの聖書の箇所は以前からご存知でしたか?
聖書は1日1章読めば3年半ぐらい(ですから1日3章ぐらい読めば1年)で読み通す事ができます。
聖書を経典とするなら1度は読み通してみて戴きたい。


この聖書全体の整合性ある訴えとは何か、を感じてもらえれば幸いです。長々、夜中にスミマセン。


【私】
Tさん、ありがとうございます。
聖書の解釈を通して導くその事実は、
クリスチャンの聖書に対するご理解と統一教会の原理講論に記される聖句の内容とを一つ一つ突き合わせ、お互いに意見交換をし、その整合性を探究していくことが大切だと思っています。お互いに知らなかったことに気付かされ理解し合うと共に、真理探求の一助になると思います。


 統一教会の教義を信じると、「洗礼ヨハネやマリアは失敗した」と、無断着で軽はずみな発言をする方がいます。私は、当時の祭祀家庭の一族である信仰者のお二人にとても失礼な発言だと思います。                                                                    「イェス様(メシア)の十字架の道」についても、クリスチャンの聖書の捉え方と原理講論に書かれていることは明確に違います。原理講論を読むと、私を含め文先生を再臨のメシアと信じ従って来た群れも、ユダヤ人と同じような失敗をしてしまったと感じるのです。                              
 クリスチャンの方が聖書を良く勉強されているように、家庭連合では2000年ごろ新しい経典「天聖教」が誕生しました。
そして、文先生の晩年は原理講論・天聖教を含む「8大教材教本」が遺言書として発表され、毎朝、教材として読んでいます。私は統一教会の組織信仰は持ちませんが、教材は勉強し探究しています。   
                                     「あの方は栄え、私は衰えなければならない。」(ヨハネ3・30)「義人はいない1人もいない」(ローマ人の手紙)                            「あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい」(マタイ11・11)          これらの聖句は、何を意味するのか考えたりもします。                                                                                                                                                                                                                                                                          

 ユダヤ教、キリスト教、神道、仏教、統一教会、家庭連合などの歴史と教義を探究し、一つの真理が見つかりました。 
研究結果をまとめているところです。                           



【Tさん】
 研究結果をマトメておられる忙しい最中にもカカワラず、
私の投稿を読んで戴きありがとう御座います☺
研究結果を大いに注目しております👍


【私】
いえ、忙しいというか、期限は自分で決めて良いのですから、出版社から依頼されているようなものでもありません。趣味でしょうか(^^)


【Tさん】【Mさん】
いいね!

×

非ログインユーザーとして返信する