イエス様は神の国を立てる為に来られたメシヤ

hirachyuu

 
 イエス様が生きておられた時に彼に真心から従った者は一人もいませんでした。そして迫害が深刻になった時、イエス様の最も近い弟子たちでさえもイエス様を捨て去りました。
 イエス様は神と一体となられることによって喜びをもたらそうと地上に来られましたが、誤解され拒絶されて十字架に釘打たれました。イエス様が十字架に釘打たれることによって、神が堕落によって感じられた悲しみは、更に大きくなりました。そして、その神の悲しみは今日まで続いています。

 今日の世界の姿は、神を喜ばせてさし上げるものとは程遠いです。人間が神の本性を表わすのとは依然としてかくも遠くかけ離れているという正にその事実は、復帰の過程が未だに完結されていない証拠です。しかし明らかにイエス様は神の国を立てる為に来られたメシヤであられました。


 何が間違ったのですか。私たちは、統一神学における三大祝福という神の本然的な理想をより詳細に調べることによって、この問題について答えることができます。神は最初の先祖に「(1)生めよ、(2)ふえよ、地に満ちよ、(3)地を従わせよ。…全ての生き物を治めよ」と語られました(創世記 1:28)。その第一の祝福は個性完成、または神との心情一体を言います。イエス様は、第一祝福を成し遂げられました。しかしイエス様は、自身の何らかの失敗によってというよりも、他の人々からの信頼が足りなかったために第二祝福を成すことができませんでした。


 太初から神の形状は、男と女の形状でした(創世記 1:27)。第二祝福は、神が最初の男と女が人間の家庭の真の父母となり、神の心情と愛を彼らの子孫に伝えるように願われたことを暗示しています。しかし、最初の先祖は第一祝福を成すことができず、偽りの父母になってしまいました。


          


 メシヤは、真の父母を人間の家庭に取り戻すことによって、その失敗を正す為に来られますが、その家庭は神の真の家庭になる為に、再び生まれなければなりません。神の男と女の形状、真の父母の重要性、そして堕落人間が神の真の家庭として再び生まれなければならない必要性などは、メシヤの仕事が一個人によってではなく夫婦によって成されなければならないということを暗示しています。
 ところが、イエス様は地上に真の家庭を立てる前に十字架に釘打たれて亡くなられ、その後になって初めて、新婦を迎えられました。キリスト教的伝統から見ると、イエス様の新婦とは、信徒たちを霊的に重生させる聖霊に満ち溢れた母としての教会です。


 第一祝福は人々が神を中心とした個人となること、第二祝福は神を中心とした家庭を成すこと、そして第三祝福は彼らが残りの万物世界と共に神を中心とした関係を発展させることを求めています。
 統一神学は「従わせよ、治めよ」というみ言葉を、神を中心とした責務を強調するものとして見ています。神の性稟を見せる肉的な体と共に完成した個人は、神と被造世界の間において仲裁者の役割をしながら、神と被造世界全てに喜びをもたらします。
 実際に人類は、第三祝福を成すことによって疾病や飢餓といった問題を最小化し、神の国実現の為に可能な限り最高の肉的な環境を提供する為の知識と技術を習得するのです。
 堕落によって最初の先祖は三大祝福の中のどれ一つも成すことができず、イエス様は十字架に釘打たれることによって第一祝福しか成すことができませんでした。

 しかし、全人類がこの祝福を全て成し遂げるようになるまでは、神の喜びは完全ではあり得ません。それは、神が全ての個々人が喜びを完全に享受することをいつも願われるからであり、完全な喜びとは、私たちが共同創造主となり、神の子女としての潜在力を全て成すところにあるためです。


 天の父母たる神は、真の愛の永遠の源泉です。堕落と十字架の苦難にも関わらず、神は人類が神ご自身の心情の相続を受けてその性稟を表わすことができる時まで満足されません。これは家庭のレベルから真の父母様と一緒に始め、そこから社会や国家、そして世界に広がらなければなりません。
 真の父母様は、全人類の兄弟姉妹圏、そして神の国を立てる全ての者たちと明らかに神の愛を共にされます。そうすれば神と人類、そして全ての被造物は、神の心情を中心として一つになり、神の悲しみは洗い流され、遂には神の喜びと私たちの喜びは完成するのです。

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