共同創造主になるための生長期間
更に肉的な心と体以外にも、神の子女は全て、霊的な不滅性を持っています。人間は如何なる被造物よりも神に近い存在ですが、全ての人間が持っている性稟の中で、神に最も近く似ていて他の被造物と区別されるものは創造性です。
神の息子娘として、私たちは根本的に共同創造主であるために神に似ています。範囲を狭めて言うならば、私たちは、自らを神の息子娘として完成させる過程に積極的に参加することができるので共同創造主なのです。それ故イエス様は「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」と教示されました(マタイ福音書5:48)。

共同創造主になるということは、このような意味で、私たちが神から受けた愛を誤用することなく、私たちの行動を志向することに責任を負うことを意味するのです。
愛は全ての関係の真なる基礎として根本的に重要なものであり、したがって正しい秩序の中で神との「縦的」関係 が他の被造物との「横的」関係より優先されるべきなのですが、これが「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主なるあなたの神を愛し、自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マルコ福音書 12:30-31)と語られたイエス様の「偉大な戒め」が持つ意味です。
統一神学によると、一個人と神との間に流れる愛は、誤って使われなければ、彼らの間で壊れることのない心情の一致を次第に成していくでしょう。
神とこのような関係にある人は、神の内的な性稟、特に神の心情を相続するであろうし、その結果、その人は神の目的と事情を共有し、完全な天の愛を表わすことができるようになるでしょう。
更に進んで、神のように束縛なく自由であるとしても、その人は決して悪なる行動をしないでしょう。その理由は、悪なる行動をすることによって神に及ぼす悲しみが、その人にも全く同じように起きるからです。これは、イエス様が神とそのような心情の一致を成しているために、私たちがイエス様を通じて神を知ることができるのと同じことです。
しかし、共同創造主ということは、神の目的と異なる目的も選択し得るという自由を暗示しています。もし人間に神と完全な心情の一致を成さない自由がないとすれば、彼らの共同創造主という資格は虚偽となるでしょう。そのため神と完全な心情一体を断つことができないものとなる為には、その一致が成されるまで一定の期間がなければなりません。そして、その期間には、人間は神に喜びではなく悲しみを与えるやり方で、罪を犯すことがあり得るのです。
統一神学では、この期間を成長期間と言います。生まれてから幼児期を経る最初の形成段階と、その後、彼らが精神的に成熟、または完成する時期の成長期間にある人々は、自らを神の子女として創造する責任があります。共同創造主になる為の必要条件として、この成長期間は、ご自身に最大限に似た誰かを愛することによって喜びを探そうとされる、神本来の願いから出てくるのです。したがって神は、私たちを即時に完全に創造することができないのであり、私たちが共同創造主の権限を行使できるように、経るべき過程を与えなければならなかったのです。
更に進んで、動植物と無生物体は人間と違い、自体の成長に対する責任分担がないとしても、成長過程それ自体は全ての被造物において遍く(あまねく)反映されているのです。
そうして肉的な宇宙は、生命体が創造される以前にとてつもなく長い間にわたり、多くの段階を通過して発展してきました。
生命体は、相対的に単純な初期段階から現在のように複雑で多様な状態に漸進的(ぜんしんてき=少しずつ)に発展してきました。
そして個別的な有機体は、各々完成に向かって行く中で、幾つかの段階を経て成長しています。
