⑫「ヘソは無かったアダムとエバ」編

【Tさん】;クリスチャン
【私】;hirachyuu


ご注意)
国会議員、クリスチャン、旧統一教会の方、超宗教の方、考え方は多種多様、右から左まで様々あります。【Sさん】も【Tさん】も【私】も、その一人として意見交換した内容です。

【私】;hirachyuu
 ところで、話は変わりますが、アダムとエバは生物学的にお腹に「おへそ」はあったのでしょうか?聖書信仰の方にいつも質問しています。


【Tさん】
聖書はイェス様が救世主であることや、十字架の血潮の贖いと復活と再臨を世に広めるモノですね。
ユダヤ教はソレを否定します。
統一協会もソレを否定します。

イェス様はローマを撃退して地上に永遠の王国を築くハズだったとね。それが十字架に掛かって死んだのだから失敗であった。
今度こそ再臨主である私、文鮮明がイェス様の成し遂げられなかった地上に永遠の王国を築くんだ。でもねそんなヤツは韓国には何人もいますし、世界にはもっと居てるでしょう。
それらはイェス様が聖書で予言している偽キリストそのものです。


 私は統一協会の人と彼らの聖書の解釈の矛盾を指摘しましたが、誰も反論できませんでした。それどころか聖書にそんな箇所、聖句が有ったのか?とビックリしてました。
統一協会の講義は彼ら人の作ったもの。陰陽五行論なども入れてますが、別に普通の今まであった東洋哲学で、彼らのオリジナルでも何でもありません。
ある意味かれらは東洋哲学ですら盗用してるに過ぎません。
聖書は神の作られた物です。語っている世界が違うと思います。


【私】
 Tさん。ありがとうございます。Tさんのお考えを伺うことができ嬉しく思います。私は文先生が他界されて10か月後(2013年6月)に、統一教会(=家庭連合=父母聖会)の組織信仰から卒業し、今は距離を置いています。


 Tさんの外からの視点(クリスチャン)、聖書の視点で統一教会を批判される方のお考えは周知の者です。私が統一教会の内部を見てきた視点で批判しますと、西暦2000年くらいから、統一教会の組織は、文先生の支持が届かない、コントロールできない状況にあったのではないかと見ています。理由は様々ありますが・・・、
 キリスト教も4世紀~5世紀のニカイア会議、エフェソス会議、カルケンドン会議などの公会議で分派分裂し、異端扱いの群れが発生したことはご存じだと思います。当時のクリスチャンに、自分の教えだけが正しいとする傲慢さと、背後の権力争いを非常に感じます。ゴタゴタの11世紀の大シスマ、16世紀の新旧分裂など、分派分裂、血を流してきた歴史がキリスト教です。イエス様の愛の教えは素晴らしいのですが、実体は制度化された宗教の姿です。現在も、ローマ教皇庁の様々な醜聞を耳にし、キリスト教が嫌いになる人々が増えています。Tさんはどうお考えですか? 私はキリスト教をはじめ一神教の争いやゴタゴタを早く解決しなければ、神の存在を否定する共産主義や拝金主義者に、すべて奪われてしまい、そして、時を逸し・・・                         


 2000年前のユダヤ教やキリスト教の時代には、飛行機や自動車、スマホや人工知能などありませんでした。目まぐるしい科学技術の発展の現代は「宗教と科学が融合」した超宗教の時代が到来していると私は考えています。核心は、個人の救いを教義とした宗教の時代から、家庭の救いを教義とする超宗教の時代だと考えます。


 生物学的に人類始祖アダム・エバに「へそ」があったとするのか、無かったとするのかはっきりしてほしいところです。生物学者にもクリスチャンの方にもです。


         



【Tさん】
 誤解を怖れずに端的に言えば、神様がアダムとイブにヘソを作ってれば有っただろうし、作らなかったら無かっただろう、って思っています。
 まあそこがこの話の本質ではないし、アダムとイブ、エデンの園も、現代人にも理解しがたい存在の場所で起こってしまった、何らかの出来事を象徴する話なのかも知れませんしね。


 私は「目が開け」=「自意識という知恵」がついて、
現代人=ホモ・サピエンスが誕生したことを象徴した話と思っています。
私はその事を古代人にも現代人にも、分かり易く伝えるために神が作られた例え話と思っています。


【私】
 Tさん。ありがとうございます。
私はキリスト教の経典「聖書」と統一教会の経典「原理講論」の両方を読みました。感想は、どちらも神様を人類に伝えるための書だという考えです。
 聖書は飛行機も車もない時代の人々に神様を伝える経典でした。1966年初版の統一教会の「原理講論 創造原理」と言う章は、東洋哲学や現代科学にも対応できる内容だったとの記憶があります。摘まみ食いなのか、拡大解釈なのか、異端なのか、「創造原理」をお読みになられてから、ご判断(解釈)されるのも面白いと思います。


【Tさん】
 Sさんと色々ヤリトリしてたのですね。全く知りませんでした。hirachyuuさん、人が理解しやすい素晴らしいと思う考えこそ、善悪を知る木の実の結果だと自分は思っています。前にも投稿しましたが、アホ、バカ、間抜けのキリスト教です。信じてる自分が不思議です。
 エンドレスな疑問や取り組みが神と私の間に続くのかと思うとチョッとシンドイときもあります。
 そもそも神の教えがそうは人の頭に入りきる物ではありません。分かった理解できた素晴らしいと思うこともモチロンありますが、そう思った時が一番神から離れているのかも知れません。自戒を込めて。それでは改めてお休みなさい😪


【私】
 その上で、もう少し「ヘソ」解釈について考えるコメントの時間を頂けたらと思っているのですが、よろしくお願いいたします。                              「ヘソが云々の真相は誰にも100%は分からないし、分かったと言う人が現れても、結局は信じるか信じないかの世界ではないですか。」と言う、Tさんのご意見を尊重いたします。本当にありがとうございます。                        そして、ここで気付いたのです。Tさんも私も愛なる神様(創造主)の実在を認めている人間ですが、その神様と人間の「愛の関係」が、どのような関係なのか、「クリスチャンの方のおっしゃる神様の愛アガぺー」と「私が感じる神様の愛」に相違があると気付いたのです。                           神様(創造主)の愛は、「親子の愛の関係」であると、私は「本当にそうだなぁ」と実感します。               
 創世記1章27節に、「神は自分の形に人を創造された。すなわち、神の形に創造し、男と女とに創造された」とある聖句から、次のように私は解釈しました。                   胎生で産まれる哺乳類(受精した卵子が胎盤によって直接母体につながり、栄養を受けて発育し、親とほぼ同じ姿になる)には必ず「へそ」と「へその緒」があります。
 哺乳類が、親と似た姿(形)になって産まれることは、被造世界における間違いない事実です。このことは宗教者も否定することはできません。子犬は親犬の形(姿)に、子猫は親猫の形(姿)に、人間の子供は人間の親に似た形(姿)で産まれてきます。                     
 犬も猫も人間も「へそ」と「へその緒」があることは、信じる信じないではなく、哺乳類として事実だと私は断言します。アダムとエバ、どんな名前でも良いのですが、人類始祖なる夫婦には「へそ)が必ずあるとするのが私の結論です。 
                                                    
 雄と雌、男と女の結合によって生命が誕生し、血統が繋がっていきます。「種」(しゅ)とは子孫を残すことができる集団です。黒人と白人が結婚して子供が産まれるのは、同じ「種」だからです。人間とサルは同じ「種」でないので子供は決して産まれません。神様は「種」を厳格に区別して創造されました。環境によって骨が変化(進化)することだけを調べて、進化したと答える無神論者は、雄雌、男女で生命が誕生する原則を見失っています。骨の無い生殖器の進化が説明できない、生殖器(外性器、内性器)の進化を答えることができない進化論者です。目の進化も答えられません。なぜなら、骨が無いからです。 
                                                                  
 エデンの例え話は(当時の人々に分かり易く伝える物語)は、Tさんと同じ考えです。しかし、私は聖書は宗教書であり科学書でもあると主張しています。なぜなら、聖書を「宗教と科学の融合」の視点で解釈できる一つの研究をまとめました。長くなりましたが、次のようにまとめました。

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