㊴ 熱かった親指のお灸の思い出


 私の親族(父方、母方)の信仰は多種多様です。


 父方(長崎)の宗教は浄土宗とキリスト教。
母方(現住)は真言宗と伏見稲荷と日蓮宗関西身延真如寺。
母方の信仰は、明治以前の神仏習合の伝統をずっと守り続けてきた一族のように思います。


 私の信仰は、家庭連合の経典「八大教材教本」を毎朝5時から訓読するみ言訓読家庭教会です。はや27年の月日が流れました。家族で訓読会を続けて来れたのも妻の信仰のお陰で感謝です。
(1997年10月文先生が訓読会と命名)


 母方の祖祖母、祖父祖母は、霊媒師(シャーマン)でした。
 祖祖母は、近所の人が100人くらい集まり祭祀を行う霊媒師だったようです。


 祖父祖母は、家にある祭壇を前に、毎月1回親族が集まった中で祭祀を捧げていました。私も小学生4年生ぐらいまで、祭壇に祭られているお菓子を貰うのが楽しみで、20人ぐらいの親族と共にしていたことを覚えています。
 

             

                 鳴釜神事


 祝詞を捧げ暫くすると、祭壇の前の大きな木製の窯(1メートル位)が「ゴー」と鳴り響き、どんどん音が大きくなっていきます。音が止むと、祖母に何人かの霊が入ってくるのです。
 祖母(霊)は色々と諭しの言葉を語りながら、おじさんやおばさん、母親、私も横に呼ばれて、霊に相談して諭しを聞きます。
 ある日、私は何を悪い事をしたのか、横に呼ばれて叱られて、親指にお灸を据えられました。熱くて泣いた記憶があります。
 それから、霊が少し怖くなりました。


 私は理系の学校に通うようになり、霊のことは無関心になり、唯物的な思考回路が形成されてきました。


霊的感性は、幼年の息子に出ていたように思います。続きで・・

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