「心情」とは「愛を通じて喜びを得ようとする衝動」(25)

(3)「心情」とは
 
【統一思想】において「心情」とは「愛を通じて喜びを得ようとする衝動」と定義されています。
 人間が真の喜び、永遠の喜びを得ることができない理由は、金銭や権力、地位や学識の中に喜びを探そうとするためであり、それは愛(真の愛)の生活を通じてのみ得られるのです。愛の生活とは、他人のために生きる利他的な奉仕生活、すなわち他人に温情を施して喜ばせようとする生活をいいます。
 心情とは何でしょうか。それは神経に続くあらゆるものを担っています。それは生活観念など、あらゆるものを通過できる内容と力をもっています。生命の根源の位置にあるのが心情なので、生命を否定したとしても、心情を否定することはできません。存在を否定したとしても、心情を否定することはできません。心情は存在以前のものです。ですから、神様は愛だという結論になるのです。【『文鮮明先生御言選集』15-37 1965.1.31】


 それでは、神様は、どうして宇宙と人間を創造することができたのでしょうか。それは、神様が心情をもっていらっしゃるからです。心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、生命があるところに発展運動(創造)が展開するためです。ところが、その創造には必ず目的があるのですが、その理由は、本来心情というものは目的を指向するものだからです。ですから、創造目的は、心情を充足させる喜びであるといわざるを得ません。そして、この喜びは、被造物、特に人間が神様に似た時に訪れるのです。【天聖教 宇宙の根本】
 ゆえに神様の愛と創造性に似た人間と国家が、神様が創造しようとされた目標だったのです。これは、人間の理想がそれを追及することを見ても知ることができます。理想とは、当然享有するようになっている世界を追及する熱望なのです。


          



また、「神の心情」について、次のように記されています。


・神は心情すなわち愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動をもっている。
・神の衝動は人間の衝動とは比較にもならないほど抑えがたいもの。
・人間は「相似の法則」に従って、そのような神の心情を受け継いだ。
・愛は決して喜びのための手段ではなく、ただ無条件的な衝動。
・神の心情は、「限りなく愛そうとする情的な衝動」である。
・宇宙内の万物相互間には、物理学的な力のみならず愛の力も作用している。
・人間が互いに愛し合うのは、そうしても、しなくても良いというような、恣意的なもので   

 はなく、人間ならば誰でも従わなくてはならない天道。


統一思想教育論に、「神の心情は、創造と復帰の摂理を通じて三つの形態に表現されるとあります。
①希望の心情、 ②悲しみの心情、 ③苦痛の心情 です。

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