㉝「悔い改める人が出る」事の期待 基督教観と家庭連合編

【Sさん】【Mさん】;クリスチャン
【私】;hirachyuu


ご注意)
国会議員、クリスチャン、旧統一教会の方、超宗教の方、考え方は多種多様、右から左まで様々あります。【Sさん】【Mさん】も【私】も、その一人として意見交換した内容です。


【Sさん】
 イエスは「もっと良く説明しようと別の例え」と。何を良く説明しようとされたのか?。気になって聖書を調べました。ナルホド!「悔い改める人が出る」事の期待か。
 旧約に通じている100%信仰者、パリサイ人、律法学者たちの土地で、イエスはまだ「悔い改め者が出る」事を期待している。
 それは100%クリスチャン教会でも「悔い改め者が出る期待と同じ」か?。牧師や聖書神学者であろうと。悔い改める事を期待しているのか?。
 何を悔い改めを期待しているのか。「イエスはキリストである」を解らせる事が新約テーマに見えるが。此処はそれがテーマではない。その先を語っている。
 多くの場合、キリスト者は放蕩者が多い。「放蕩者で生きるな」。兄のように「勤勉素直に神の命令を守っていますで生きるな」と言っているのか?。
 「羊や銀貨が見つかった!」事と。「放蕩息子が悟って行動した」事とは随分違うと思う。見つけられる受動態信仰者と、主と解る積極的信仰者。
 キリスト者はどういう面で積極的であるべきか?

放蕩であってはいけない。皆さんはどう考えるだろうか?


【Mさん】
不良息子の豪遊生活
 イエスはもっとよく説明しようと、また別のたとえも話されました。【ルカの福音書(15:11 - 32)】

「ある人に息子が二人いました。 ある日、弟のほうが出し抜けに、『お父さん。あなたが亡くなってからでなく、今すぐ財産の分け前がほしいんです』と言いだしたのです。それで父親は、二人にそれぞれ財産を分けてやりました。 もらう物をもらうと、何日もたたないうちに、弟は荷物をまとめ、遠い国に旅立ちました。そこで放蕩に明け暮れ、財産を使い果たしてしまいました。 一文なしになった時、その国に大ききんが起こり、食べる物にも事欠くようになりました。 それで彼は、その国のある人のもとで、畑で豚を飼う仕事をもらいました。 あまりのひもじさに、豚のえさのいなご豆さえ食べたいほどでしたが、だれも食べる物をくれません。
 こんな毎日を送るうち、彼もやっと目が覚めました。

『お父さんの家なら雇い人にだって、あり余るほど食べ物があるだろうに。なのに自分は、なんてみじめなんだ。こんな所で飢え死にしかけている。 そうだ、家に帰ろう。帰って、お父さんに頼もう。「お父さん。すみませんでした。神様にもお父さんにも、罪を犯してしまいました。 もう息子と呼ばれる資格はありません。どうか、雇い人として使ってください。」』
 決心がつくと、彼は父親のもとに帰って行きました。ところが、家まではまだ遠く離れていたというのに、父親は息子の姿をいち早く見つけたのです。『あれが帰って来た。かわいそうに、あんなみすぼらしいなりで。』こう思うと、じっと待ってなどいられません。走り寄って抱きしめ、口づけしました。 『お父さん。すみませんでした。ぼくは、神様にもお父さんにも、罪を犯してしまいました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 
 ところが父親は、使用人たちにこう言いつけたのです。
『さあ、何をぼやぼやしている。一番良い服を出して、この子に着せてやりなさい。宝石のついた指輪も、くつもだ。 それから肥えた子牛を料理して、盛大な祝宴の用意をしなさい。 死んだものとあきらめていた息子が生き返り、行方の知れなかった息子が帰って来たのだから。』こうして祝宴が始まりました。


    


【私】
 悔い改めの基準は「血統の重要性」を理解することから始まると考えています。文先生のメッセージを探究し、統一教会の分裂、混乱の原因がここにあると、私の出した結論です。


【平和神経】
 生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです。(平和神経より)


 愛と生命の重要性は、ほぼ全ての宗教で説かれています。平和神経では、愛、生命、血統のうち、一番強調されるのが血統です。それは、愛の実りが生命であり、生命の実りが血統であるからです。愛や生命は永遠に続くものではありませんが、血統は子々孫々まで受け継がれていくものだからです。


 文先生韓鶴子ご夫妻の直系の血統を持つ男性の方々のご家庭が(3男様、4男様、7男様)、家庭連合から分裂しました。
その原因が何であるのか、全祝福家庭は理解できる時が到来しています。

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