㊲ 反日か!親日か!「新聞配達の思い出」
1989年2月1日 韓国世界日報(当時郭錠煥社長)の創刊のため、極寒のソウルの地で、約6か月間、自願奉仕団として配達(ペダル)した思い出です。
1989年2月1日 韓国世界日報 創刊号
世界日報地方支部(下渓洞)には、早朝4時に3200部の新聞が届きます。1部たりとも焼却廃棄しないことを鉄則にして、韓国人支部長と日本人男女13名(食当2名)で新聞配達(ペダル)が始まります。
AM7時までに支部に届く全部数の配達を完了する為には、どうしても人手が足りません。
教会長が、「中学2年生の次男と中学1年生の長女の子供たちも配達に協力させる」と申し出て下さいました。
「・・・----」
私は350部、中2の次男S君は150部、新聞を自転車の後部座席に積み上げ、同じエリアを配達することになりました。
「おじさん(アジョシ)、今日はテストだよ、勉強する時間が無いよ。」
「今日は、疲れて眠いよ。」
彼の切なる訴えでした。
月間3000ウォンの定期購読申請のサインを得るために、3か月間、無料でペダルし続け、その後、その家屋に訪問します。
片言のハングルと身振り手振りで訪問の開始です。日本で培った飛び込み訪問の経験が、異国韓国の地でもピンポーンを抵抗なくできる度量が付いていました。
何よりも、韓半島南北統一のために歩んでいるという、大きな夢と気概と喜びがありました。
そんな3月末頃、風邪が流行り、2名がダウン。これ以上、誰もダウンできない状況になりました。
翌日、「中2の次男さんにも熱がでて・・・」、
えー、これ以上どうにもなりません。
彼の担当部数を私が受け持ち、7時までに500部ペダルすることになりました。配達エリア(15階高層マンション街)の警備室の前に彼の配達部数を仮置きし、自分の350部のペダルを兆速で終えて戻ってきました。
「あれ、ここに置いてあった新聞がない!」
辺りを探しましたが、何処にもありません。
牛乳配達のアズマ(おばさん)を見かけたので、新聞のことを
聞いても「知らないよ」です。
しばらく、どうしたら良いのか分からず、立ちすくんでいました・・・
ふと、後ろを振り返ると、教会長と熱っぽい顔をした少年が立っていました。
二人で新聞をペダルしてきたというのです・・・、
私は一人、公園に行き泣きました。
いつでしたか、韓国世界日報に、反日の社説が出ていたことを聞きました。
文先生は、韓日交差祝福(韓国人と日本人の結婚)挙行後、南北統一・韓日親善のためのメディアとして、韓国世界日報を創刊されました。
この韓国世界日報の今の社長、並びに編集の皆様
親日社説もよろしくお願いします。
(世界日報創刊号自願奉仕団日本人の代表家庭)