【Lさん】
【Official】Speech by N.A.B.I Representative of Second-Generation Believers
日本は信教の自由のために戦っている - そして世界は知る必要がある。
強烈な政府の圧力に直面して、勇敢な日本国民は、自らの憲法上の権利を自由に信じ、発言、礼拝する権利を守るために街頭に出ています。
このパワフルなビデオを見て、普通の人々がどのように自由のために立ち上がっているか見てください。
声をあげ、日本と連帯しよう。
【hirachyuu】
彼ら家庭連合2世は、集会・結社の自由、出版・言論の自由、信教の自由の国「日本」で、新しい団体をつくれば良いのです。
1世の負の遺産を背負う必要はありません。文先生の実子の方々は、一般社団法人(FPA,,サンク)で活躍しています。宗教法人にこだわることは必要ないのです。
統一運動は、宗教を越えた平和運動です。DS,共産主義者の方々とも、共に生きる運動です。
【SOさん】
団体にこだわる必要はない、という事もあるかとは思いますが、負の遺産だけでもないと思います。
彼らの親世代を育てた教会だという思いが二世にはあるでしょうし、やはり思春期の紆余曲折を経て、教会に帰ってきたという感覚がある子もいるのではないでしょうか。
まだ色んな意味で過渡期です。
ようやく田中会長が、
「御言葉を全部訳して来なかった反省と、氏族メシア勝利出来なかった事が本当に申し訳なく、これから勝利しましょう」
と言われ始めたばかりですから。
【hirachyuu】
そうですね。教会の信者に対して、田中さんは、そのように語るしかないと思います。ですが、氏族メシアとは、社会に向かっていくことなのです。以下の動画をご覧ください。
【“統一教会”】“認知症”母から「念書」 “統一教会”に献金1億円超…返還求め裁判 11日に最高裁判決
日本国民は、トランプさんが信教の自由だ、どうのこうのと言おうと、反日韓国人(2023年OK教会で、韓国清平の反日ビデオを上映し教育)たちに支配されているこの宗教団体を受け入れることは無いでしょう。
韓国人牧会者の中には、自分の支配に従わない信者の氏族メシア活動を妨害するペテン師や宦官がいました。
田中さんはじめ幹部全員は禊(みそぎ)が必要です。
「氏族メシア、これから勝利しましょう」、1991年から何百回も聞いてきました。社会に向かう信者の事を思うなら、念書(金)を神様とするような、公序良俗に著しく反する宗教団体の代表として、まず、日本国民に土下座して謝罪する事しかありません。
中居問題で、フジテレビ幹部、全員退任、改革の為、責任を取りました。家庭連合は、いつものことながら誰も責任を取りません。最後は全て、文先生、韓夫人に責任を擦り付けます。
ユン・ヨンホと同じように。
禊:不祥事、反省、復帰の流れを表すことも
政治家や企業、各団体・芸能人が不祥事を起こしたときに、謝罪会見を開き、活動を自粛することも少なくありません。一定の自粛期間を経て、世間に反省の気持ちが受け入れられ復帰するまでの流れを『禊を済ませる』と表現したりしています。
【SOさん】
確かにそれは同意しますよ。
大前提としての、
あの最初、もしくは何回目かの記者会見で、国民が注目していたのは会長がどう責任を取るだろうかという事だった。
その事に田中会長も幹部も誰も気づいていないのがそもそも日本社会の何たるかを全く理解していないと思います。
日本はあの時、会長が全責任は私にありますと言って、辞任することだったのです。それで何とか世論は納得する形を取れたから、紀藤弁護士達は「辞任したってダメ」とか何とか言うでしょうけど、一般人は「普通に常識的な組織なんだな」と一定の理解が生まれたはずなのですよね。
誰が辞任させないと決めたのかは不明です。田中会長が辞めると言っても止められたのかもしれませんし、実際勅使河原さんが会長なんか勤まらないから後継者もいない中で辞任されても困る等々、理由があったのかもしれませんが、
そうであればそういう文言も必要ですし説明が必要です。
「本来ならば辞任を表明するところでございますが、何卒ご理解を賜りたい」とか、それが下手に出ることであって、
マスコミに迎合するような事をチラチラ言う勅使河原さんの姿勢も誠実とは言えません。
辞任、もしくはどうしても辞任でき兼ねる説明がなければ、
傲慢と取られます。
大手社長、役員の食口の助言を求めたり、知り合いの助言を全く聞かなかったのでしょうね。それともそんな知り合いの1人もいないかどちらかですが、勤労青年を下に見る文化が改まっていないからそうなるんだと思います。
【hirachyuu】
信教の自由を訴える2世の純粋な心情に希望を感じます。
1世が失敗した組織依存の信仰から早く脱出し、自分自身でみ言を探し出し、神様と直接の関係を結び、社会で活躍する2世の姿が楽しみです。
組織は解散することが御心と信じる1世の意見です。
文伝声のメッセージ
【原理講論 第五章 メシヤ再降臨準備時代 第一節 宗教改革期】
元来、信仰は、各自が神を探し求めていく道であるので、それは個人と神との間に直接に結ばれる縦的な関係によってなされるのである。
(二)宗教改革
中世社会における法王を中心とする復帰摂理は、
法王と僧侶の世俗的な堕落によって成就することができなかった。そして上述のように、中世の人々が人本主義を唱えるにつれて、人々は人間の自由を束縛する形式的な宗教儀式と規範とに反抗し、人間の自主性を蹂躙する封建階級制度と法王権に対抗するようになったのである。
さらにまた、彼らは人間の理性と理知を無視して、何事でも法王に隷属させなければ解決できないと考える固陋な信仰生活に反発し、自然と現実と科学を無視する遁世的、他界的、禁欲的な信仰態度を排撃するようになった。こうしてついに、中世のキリスト教信徒は法王政治に反抗するようになったのである。
このようにして、中世社会の人々がその本性の外的な欲望を追求するにつれて、その反面、
抑圧されていた本性の内的な欲望をも追求するようになり、ついには、使徒たちを中心として神のみ旨のみに従った熱烈な初代キリスト教精神への復古を唱えるようになった。これがすなわち、中世におけるヘブライズムの復古運動である。
そうして、十四世紀に、英国のオックスフォード大学の神学教授ウィクリフ(Wycliffe 1324~1384)は聖書を英訳して、
信仰の基準を法王や僧侶におくべきでなく、聖書自体におくべきであると主張すると同時に、教会の制度や儀式や規範は聖書に何らの根拠をおくものでもないことを証言して、僧侶の淪落と、その民衆に対する搾取および権力の濫用を痛撃した。
このように宗教改革運動は、十字軍戦争によって法王の権威が落ちたのち、十四世紀から既に英国で胎動しはじめ、十五世紀にはイタリアでもこの運動が起こったのであるが、それらはみな失敗に終わり、その中心人物たちは処刑されてしまったのである。
その後一五一七年、
法王レオ十世が、聖ペテロ寺院の建築基金を募集するために、死後に救いを受ける贖罪の札であると宣伝して免罪符を売るようになると、この弊害に対する反対運動が導火線となって、結局ドイツにおいてウィッテンベルク大学の神学教授であったマルティン・ルター(Martin Luther 1483~1546)を中心として宗教改革運動が爆発したのであった。
この革命運動ののろしは次第に拡大され、フランスではカルヴィン(Calvin 1509~1564)、スイスではツウィングリ(Zwingli 1484~1531)を中心として活発に伸展し、イギリス、オランダなどの諸国へと拡大されていったのである。