神様の愛は、光(素粒子)となって・・・
クリスチャンの方と、愛について意見交換しました。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。第1日である。
〈創世記 第1章〉
【Kさん】クリスチャン
愛は「動詞である、実践である」について。愛の理解を間違えると罪を侵します。ストーカー的な愛ステルゲン、エロスの愛。過ぎると罪を侵し。情の愛フィリアが過ぎると「身内の悪」を贔屓して、自分も身内も滅ぼす事があります。大切は「有益的に繁栄的に行うアガペの愛」です。
【Sさん】
愛を動詞で使いたい気持は解るが、愛を名詞で使っている場合もあります。
「愛は悪を憎み退けて、善に親結する。それが愛ですよ」と
(ローマ12:9)。
悪と判断したらスパッと退ける、離れる。実践で考えたらなかなか大変ですね。胆力が必要。勇気が要ります。悪から益を受けない事。時にはパワハラを受けます。
人には勧めませんが。私は実行。淡々黙々とヨセフのように「悪とは距離を置いて」孤独に1990年から実践。どうなるかと案じましたが。大いに祝福されました。
悪と共に居て、悪から報酬を得るよりは、悪から離れて神に親結して神から報酬を得る方が勝る。丸木舟で大海に出る者は神の奇跡を見る。
愛は動詞でも名詞でも構いませんが、愛という「言葉」は
曖昧、抽象的では無く「明確に理解する」ことが、非常に大切です。
私は「実践」では無く。「愛」言葉の理解を、クリスチャンになってから30年以上探求。今もです。
愛は「フィリア、アガペ、エロス、ステルゲン」。その違いはどうなのか?。当初はキリスト教界の書物で探りましたが。限界がありました。
アリストテレス「ニコマコス倫理学」を調べて整理が出来ました。言葉をどう理解しているかで行動が定まります。
愛アガペは「繁栄的に行動仕事する」が元の意味です。
自分にも人々にも敵にも「繁栄幸福になる」行動をする。奴隷ヨセフがそうです。
自分にも同僚にも主人にも「繁栄幸福になる」仕事をしている。主人から無実の罪で牢屋に入れられる悪を返されても気にしない。
新しい場所で「有益的に繁栄的に仕事をしている」。だから「愛アガペの精神は、人がした悪に支配されない」。
だから愛アガペは、フィリアの愛で理解してはいけない。
エロスやステルゲンの愛で理解してもいけない。
愛アガペは「寛容makrothumosである=他人がした悪に感情支配されず、淡々黙々と有益的に繁栄的に仕事かできる」。それが愛アガペです。
そういう愛の人に、神は多くを任せる。正しい権力者は多くを任せる。ヨセフは「大エジプトの宰相」を任され。ルツは「大金持ちの妻の座」を任された。
淡々黙々と有益的に繁栄的に仕事ができる事。それが愛アガペの本来の意味。人愛は情の愛、フィリアの愛。「アガペの愛」と「人愛」を混同してはいけない。
愛アガペは「繁栄的に有益的に仕事をする」事。それによって悪人にも同僚にも主人にも幸福有益をする。
情の愛フィリアは「身内」を語源とする言葉で。身内びいきの悪をする可能性もある。身内の悪に加担して、身内も自分も滅ぼす事もありうる。
愛アガペは悪を憎み退ける。悪には絶対に加担してはいけません。
●追伸
聖書は「互いに教え合いなさい」とある。ゆえに私は「愛について」T. T牧師に上を教え。私も教えられる事を期待したが。反論が無く、ブロックされた。
東京神学大学、大学院を卒業して統一教会に転会した自称牧師 I .Tに対話を申し込んだがブロックされた。別にケンカを申し込んだ訳では無い。教えられたいのであるが。
「真理を探求すべき牧師がブロックとは」つまらない事である。2人には2回ブロックされている。
【hirachyuu】
愛は、与える(アガベ)側と受ける(対象)側が存在し、
はじめて成立する概念であり、実在と考えます。
その上で、「愛の力とは、主体から対象に流れる情的な力」と仮定を立てました。
愛には主体、対象のペア・システム(+イオン・ーイオン、オシベ・メシベ、雌・雄、男性・女性などの陰陽のペア)が必ず必要で、森羅万象被造世界は、この主体・対象がお互いに認識し、相対関係を結び、生存・作用・繁殖し、発展する原則があると考えます。
愛の対義語は「無関心」と聞きます。「無関心」には、生存も作用もしないことです。「ノレンに腕押し」と同じように、力が入らないイメージです。
また「認識しないこと」と表現できると思います。
・神のアガベ(主)と人間・被造物(対象)の愛の関係、
・人間(主体)と万物(対象)の愛の関係、
・夫(主体)と妻(対象)、
・師匠(主体)と弟子(対象)
・親(主体)と子(対象)、の愛の関係など、
初めに、主体が対象に愛を授け、その立場が入れ替わり、お互いに愛を授け受けしながら、時間により振動となり、振動は回転運動になり、角度を変えて球形になります。
よって愛の形は、神様を中心とする球形で存在していると考えます。宇宙も地球も人間も、球形(円満)に造られた愛の披造物と考えることが出来ます。円満な家庭が、神様の創造理想とも言い表せます。

真言密教では、曼荼羅を説き、その思想を曼荼羅の構造によって表します。曼荼羅の思想が醸し出された掛軸は知るところです。

主体・対象関係は、調和のとれた補完関係にあると理解します。(夫婦関係)
フィリア、エロス、ステルケ゚ンにも、主体・対象の補完関係が、適用できると思うのですが・・・
以上、愛の力に関する私の考えを論じました。
【Sさん】
私の投稿「愛の種類を区別して考える」を御覧下さい。
hirachyuuさんの「与える」は「人愛、情愛、フィリア」で考えています。アガペは「行う」で考えます。「有益的に繁栄的に行う」事で、奴隷ヨセフはそれをしており。寡婦ルツはそれをしております。
【hirachyuu】
愛なる神様が、光(素粒子)を利用して被造世界を創造したと考えています。
【Sさん】
いいね!