入っても良い世界平和統一家庭連合になるためには (1)
「信教の自由」は「神様」を伝える民主主義国家にとって、絶対に厳守すべき原則です。
日本国憲法第二十条の条文にあります。
・信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
・何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
・国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
「信教の自由」の解釈は、以下のようにしるされています。
(Wikipedia)
・内心における宗教上の信仰の自由
・特定の宗教を信じる自由。
・信仰を変える自由。
・宗教を信じない自由。
・宗教的行為の自由
・礼拝、祈祷、その他の宗教上の行為、祝典、儀式または行事を行い、参加し、もしくはこうした行為を行わない自由、布教の自由。
・宗教上の結社の自由
・宗教団体を設立し、加入する自由、活動する自由、または加入せず活動しない自由。
教会員が集まり、「信教の自由」を訴えるデモを挙行することも国民の権利であり自由です。
【#旧統一教会】信教の自由を守る北九州大会・デモ行進(ダイジェスト映像)
このデモ映像を見た当該信者は、同調意識が高まり、教会解散阻止の機運を高める、非常に有効な方法だと思います。
しかし、この「信教の自由」のデモを日本国民はどのような目で見ているのでしょうか?
以下、歴史を通して感じた私的な見解です。
そもそも島国日本では、渡来する多くの宗教を寛容に受け入れてきた歴史を有しています。
「信教の自由」即ち、宗教の多様性(神道、儒教、仏教)は、すでに定着している国家・民族であることは、間違いありません。
現代は、クリスマスもハロゥィンもイスラムもヒンズーも受け入れる母親のような国家です。
ブログ村記事 (62) 宗教の「多様性」を認めるとは?

では何故、16世紀~17世紀、秀吉の「バテレン追放令」から始まるキリスト教の迫害、禁教は始まったのでしょうか?
それは、キリシタン大名を騙し、日本人を奴隷として海外に連れ出すスペイン・カソリック・イエズス会の蛮行から日本人を守り、海外に売られた日本人を取り戻すためでした。
ブログ村(53)「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断
その後、家康の発令した「伴天連追放之文」(起草者は以心崇伝1613年)でも、キリスト教を三教一致(神道、儒教、仏教)の敵として名指しで批判しています。
秀吉・家康の時代に起こったキリスト教の禁教・追放は、家庭連合(旧統一教会)の宗教法人解散劇と、よく似ているように思います。
その当時、記された追放令です。
豊臣秀吉『吉利支丹伴天連追放令』(大意解説)
1.日本は自らの神々によって護られている国であるのに、キリスト教の国から邪法をさずけることは、まったくもってけしからんことである。
2.(大名が)その土地の人間を教えに近づけて信者にし、寺社を壊させるなど聞いたことがない。(秀吉が)諸国の大名に領地を治めさせているのは一時的なことである。
天下からの法律を守り、さまざまなことをその通りにすべきなのに、いいかげんな態度でそれをしないのはけしからん。
3.キリスト教宣教師はその知恵によって、人々の自由意志に任せて信者にしていると思っていたのに、前に書いたとおり日本の仏法を破っている。
日本にキリスト教宣教師を置いておくことはできないので、今日から20日間で支度してキリスト教の国に帰りなさい。キリスト教宣教師であるのに自分は違うと言い張る者がいれば、けしからんことだ。
4.貿易船は商売をしにきているのだから、これとは別のことなので、今後も商売を続けること。
5.いまから後は、仏法を妨げるのでなければ、商人でなくとも、いつでもキリスト教徒の国から往復するのは問題ないので、それは許可する。
以上 天正15年(1587年)6月19日
つづく