「イタコ」考 シャーマニズムは人類最古の宗教的伝統
【Sさん】の説明
シャーマニズムは人類最古の宗教的伝統です。
シャーマニズムは、シャーマンはトランス状態になって肉体から抜けて霊と交流して帰還するエクスタシー脱魂型と、
霊がシャーマンに憑依するポゼッション憑依型があります。イタコポゼッション憑依型です。
イタコは恐山の大祭7/20 ~ 24の時だけ各地から集まって来ます。かつて東北の至る集落にイタコは住んでいました。イタコが誕生する2つのプロセス。
カミサマ系は突発的に神懸かり、シャーマン病と呼ぶよばれる変容をへてデビューします。信者を持つ教祖タイプです。旧南部藩では屋号をつけて○○のカミサマと呼ばれます。津軽ではゴミソと呼び、カミサマ系は死者口寄せをせず、予言、託宣、占い、災難を祓う祈祷を主に行ないます。
天理教の中山みき、大本教の出口なお、霊友会の小谷みき、天照皇大神宮教の北村サヨなど様々な新興宗教が幕末から明治以降に立ち上がりました。
イタコ系は殆どが盲目の女性でイタコの師匠に弟子入りして、死んだ人の霊をおろす口寄せ技術を学んで自立します。口寄せには決まりがあって「肉体を去ってから百日過ぎているかどうか?」をイタコは問題にしました。百日すぎなければ霊はよんでも答えず、別な霊を呼んでしまうからだと説明していました。
しかし厳格な此の定めも守られなくなり、守らないで霊を降ろすイタコが多くなってきました。明治以前の仏おろしは、一回の口寄せで話が出来なくなるくらい消耗し、1日に2回が精一杯だったと言われています。

恐山の大祭はあまりにも有名になったために、商売目当てにカミサマやゴミソも参加するようになりました。短時間て収入が得られるので、時間も2~3分短くなり、本来のイタコ口寄巫儀はすたれて、観光客相手に簡単に済ますお粗末なものになりました。昭和10年の最盛期のイタコは80人。29年は50人。40年は31人。平成は10人以下。2022年は4人です。
アイヌのシャーマンは、詐欺、泥棒、異性関係の乱れ、物欲者のオーラは暗く見え。思いやりとウテキアニ愛の人は明るく見えるそうです。有名な青木フチがツス(憑霊)をして不明だった霊的祖先を明らかにする話が「ウパシクマ」に載っています。
イタコは真性シャーマニズムと疑似シャーマニズムがあり。平成になってからは、演技の口寄せしかみられなくなっていました。お祭りはパフォーマンスと割り切っていたのでしょう。
昔、恐山があるむつ市に住んでいたことがあって、一日中口寄せを聞いていたことがありました。恐山の口寄せパターンは次の通りです。イタコが数珠を鳴らしながら仏おろしの祭文を歌います。
「あーいーやーあー」
「何がしらのご縁か、何の引き合わせか。
「今日は恐山に呼んでくれて、ありがだいことだ。」
「本当は死にたくなかった。」
「先に逝ってしまって申し訳ない」
「家族の健康を願っている。」
「夫婦、兄弟、親子、仲良く暮らしてくれ。」
「某月某日、喜びあり。良いことがある。」
「某月某日、交通事故に気をつけろ。戸締まりに気をつけろ。今日はお前に会えて良かった。喜んで帰る」
かづてのイタコは地元の人々との繋がりの中で、部落のオシラサマの儀礼や正月の恵比寿まわり、農作物の作柄を占ったりと濃密な関係を保っていました。
口寄せは、行方不明になった死者の霊を憑依させ 遺体の場所を遺族に告げることもありました。他にほ生口といって、行方不明の生霊を憑依させ、居場所をつげることもありました。
昔の東北は津々浦々にイタコが大勢いました。かつての東北は生者と死者の境界が分たれておらず、生と死は連続していました。
昔の全盲の女性はイタコになるしか生活の道は無く,霊力が無くとも周囲の勧めで仕方なくイタコの師匠に弟子入り。入門は早いほど良いとされ、7歳ほど迄の子どもは透視テレパシー予知能力がありESPも多数報告されています。7~14歳 の子ども達は暗示にかかりやすく、8~11歳が頂点といわれています。子供は、世界と自我との境界がはっきり確立されてはいません。自我が未発達の方が、イタコの世界感を受け入れやすいのです。
イタコの修行は師匠も弟子も盲目なので、般若心経や観音経などのほか三十から四十のイタコの巫歌を口うつしで覚えます。仏教、神道、修験道、民間宗教の神々、権現、大明神、菩薩、諸天善神の名前とダラニ、祝詞を覚えなくてはなりません。一人前の仕上げの入魂儀礼は「大事ゆるし」と呼ばれていました。
祭壇行場で弟子に神懸かりがあるまで何回も行なわれました。食事は精進塩断ち穀断ちをして干し柿、干し栗の果実で餓えをしのぎ。水垢離の行場にはしめ縄がはられ、師匠も弟子も真新しい白装束に5尺のはちまき白足袋を身につけ、冬でも暖をとらずに食事前に日に三度、毎日水を三十三杯かぶり。神懸かりが起きるまで真言を唱えながら右回りに旋回しました。気合術師を呼んで気合息をかけることもありました。
弟子は極度の疲労と緊張の中で激しく身体を震わせてついに失神。師匠は「何が憑いたか?」と問う。答えた神仏の名が、イタコの生涯の守護霊守護神になり。師匠の数珠を受けてイタコ独立しました。数珠はイラタカ数珠と呼ばれて、珠は無患子ムクロジの実。子安貝、熊の爪、猪の牙や鹿の角が使われています。三途の川の渡し賃の寛永通宝など古銭がついています。
伝統的なイタコはイラタカ数珠と、背中に悪霊よけの経文を入れたオダイジ竹筒を背負っていました。イタコはイラタカ数珠をじゃらじゃら鳴らしながら「仏おろしの祭文」を語って仏に来て貰う。
イタコの入魂儀礼は時代と場所によって多様です。いずれにしても神懸かりになる為に大変な苦行をしました。冬の水垢離は冷気に耐えかねて身体に熱を発生させ。下半身に発生した熱が背骨を通って頭まで達成して変化が生じます。蛇や龍はこの熱エネルギーの象徴です。不動明王右手の倶利伽藍の剣に蛇が巻きついているのはこれを表しています。
正常意識では耐えられないので、思考から切り離すため祝詞や祭文のマントラを延々と唱え。イタコは自我を超えた変成意識状態の中で神仏と出会うのです。右耳上の大脳の右側頭葉は魂の座と呼ばれ。自己と意識の接点があり、右側頭葉を刺激するとテレパシー、光のヴィジョン、音の幻聴、人格の変容、体外離脱体験が起きることが知られています。
この領域に脳の損傷がおきると魂の抜けた自動機械の状態になり、さながら生きる屍のようになります。イタコの入魂儀礼は、堪え難い疲労と緊張のストレスが引き金になり右側頭葉回路にスイッチが入る。儀礼はスイッチが入るまで続き。右脳から声が聞こえるようになって、はじめてイタコが誕生しました。
イタコは師匠がいる人為的修行ですが。カミサマ系の新興宗教の教祖達の特徴は突然、極端な不幸、災難、困難に出会い、発狂寸前まで追い込まれ。病気や苦悩の頂点でカミサマと出会う。そしてシャーマン病と呼ばれる危機状態を通過。以前の古い自我は崩壊し、見えない世界と交流しても日常生活を送れる新しい自我が再生されました。
霊能力を活かし、相談事を請け負う拝み屋になり、人が集まると新興宗教の教団ができあがりました。古代日本のシャーマニズムは、審判者サニワと巫女によって行われていましたが。地方の神々が勝手に託宣していては統制がとれなくなる。そこで天皇を頂点とする国家体制がしかれ、中央に神の託宣を審議する役職が置かれ。神の序列がなされ、女性地位は低下して儀式から遠ざけられるに至りました。
仏教が広まると神は仏の臣下となり、神託は仏教教団が管理する様になっていったのです。 江戸時代のイタコは仏教の管理下に置かれていました。狩猟社会から農耕社会に変わり、 右脳から左脳優位になると神の声は聞こえなくなりました。僅かに神々の声を聞く事が出来る者は予言者や神託者、巫女、占い師の職能者になりました。
時代が下がると神託者もいなくなりシャーマニズムは形骸化していきました。イタコも次々と他界し、数は激減。イタコの市も三カ所だけになり、10年前に訪問訪した恐山大祭のイタコは3人でした。三人とも盲目ではありませんでした。弟子を育てるイタコの師匠は90歳盲目の中村タケさん(南郷)一人。イタコの後継者はいません。
理性中心の近代合理主義が頭を占めるようになると、人々は神話的思考をしなくなりました。シャーマンを支える共同体が崩壊するとシャーマンも姿を消してしまうのです。