クリスチャンと住職(曹洞宗)と祝福家庭の宗教観

hirachyuu

クリスチャンと仏教住職の意見交換+アルファ


【Sさん】
他宗教に寛容な日本人
 アブラハムも他宗教に寛容=無干渉です。ただし自分の神には無関心で無く。「仏を知らずとも良い」は有り得ない話しです。


          


【ドイツ人住職 曹洞宗】
 日本人は宗教に寛容無頓着だ。正月は神社。結婚式は教会。葬式は仏教。家は仏教と言いつつ神棚がある。日本人は「非常に寛容な宗教心」を持っている。
 キリスト教は三位一体の教義があり。他宗教を否定する。イスラム教やユダヤ教、キリスト教は同じ一神教なのに互いを否定し。カトリックとプロテスタントも時に互いを否定する。
 日本人は宗教対立をしない。仏教と神道は争わず。キリスト教を否定しない。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は、神様はひとりだから喧嘩しない筈だが。信徒は喧嘩をしている。


 西洋が日本人に見習うべき点は宗教の寛容だ。日本には八百万の神がいる。仏教には釈尊も阿弥陀様など仏は沢山いる。
 私は自寺の本尊が何仏か解らない。仏像の専門家も解らない。解らずとも住職を務めれる。悪く言えばいい加減で曖昧で柔軟性がある。この柔軟が肝要だ。柔軟さが、世界宗教になくてはならないひとつの要素である。
 柔軟を失えば固い宗教、偏った宗教、喧嘩せざるを得ない宗教になる。それは人の役に立たない。人に害を及ぼす宗教だ。こだわりが相手の宗教を否定する事に繋がる。


 宗教にこだわる人には、本当の宗教心がない。宗教が必要だと強く主張する人には、宗教心が足りない。宗教心が本当に自分の中に溢れていれば、宗教を問題にする必要がないからだ。
 日本人にとっての宗教は、空気を吸って吐くように自然なものではないだろうか。宗教心が溢れているからこそ無宗教に見える。だから他宗教に寛容で。宗教で他人を否定する必要もない。宗教無関心な日本人は、最も宗教的な人々だと私は思う。


 ドイツにあって日本にないものは宗教の授業だ。ドイツは、14歳になるまで親の宗教に準じて、学校の宗教授業を受ける。14歳になると、どの宗派に属するかを選択する。
 日本には宗教の授業はないが。悲観必要はない。日本の学校では給食が出る。給食の前には全員で「いただきます」と言い、終わったら「ごちそうさまでした」と言う。
 部活動で、仲間の大切さや協調性を体で覚える。自分たちが使っている教室やトイレは自分たちで掃除する。これは、禅の教えを実践していることなのだ。
 子供たちが当たり前のことのようにしている給食や掃除などは、とても大切な行いである。
 ドイツの子供たちは聖書の教えを授業で学ぶが、それが行動に反映されていない。イエスの教えを頭に詰め込んでも、教えを実践する機会が学校内にはない。


 僧は『日本人に「宗教」は要らない』で語る。『安泰に入門した時、疑問に思った事がある。私は、禅を極めるために日本に来た。掃除や料理をしに日本に来たわけではない。なぜ雑用をしなければいけないのか。
 この疑問に師匠は「掃除をせず、料理をせずで何が仏道修行か。履物を揃える事も非常に大事だ。脚下照顧、足元を見よ」と。
 今は師匠の言葉が解る。掃除や料理や履物や雑用に見えたそれら。それらを差し引いて何が残るか。何も残らない。
 いま生きている瞬間をないがしろにして、ほかに何をするのか。座禅以外の日常生活も修行なのだ』
 日本人の日常会話は宗教心に溢れている。「ありがとう。すみません。いただきます。ごちそうさま。勿体ない。お互いさま。お蔭さま」など。
 日本人は無宗教ではない。日常の言葉や行動そのものが宗教的だからである。他宗教に寛容である日本人に誇りを持ちたい。



【Sさん】
 僧の発言は「神に出会って無い」人の証言です。アブラハムのように神に出会ったら、他を神とする事はできないのです。
 しかしそれは他人の「信仰の自由権利を妨害侵害攻撃する」という事ではありません。それは犯罪です。そういう意味ではアブラハムも、他人の宗教に寛容。
 しかしそれは自分の宗教に無関心とは違う。何の仏を拝んでいるか解らないは、有り得ない話しです。
 アブラハムの神は、生きて話しかける神。神に無関心は有り得ません。とにかくアブラハムや出エジプト教会は他人の宗教におおらか。関知干渉しません。
 そんな「宗教侵害」をしたら戦争になってしまいます。他人の宗教にタッチしないは日本人と同じです。
 アブラハム、ヤコブ、ヨセフ達は、戦争をしていません。戦争しないように身を引いてます。僧の言葉は「神に出会って無い」人の言葉です。
 戦争は人間の欲の問題であつて、アブラハムやヤコブやヨセフは戦争をしていません。
 愛アガペ、アガソスポイエオ行動がメインです。悪から離れて。


【Kさん】
 戦争をするクリスチャンは神に出会っていないクリスチャンだとしたら、ずいぶん神に出会ってないクリスチャンが多いのですね。


【Sさん】
 アブラハム、ヤコブ、ヨセフは、個人として、理不尽を受けても「争わない=戦争してない」面がありますが。
 クリスチャン国民として、国が戦争したら、法に従順して、従軍せねばならないかも知れませんね。


【Hさん】
 国家を守り戦うことは、国家という最大の隣人に対する愛であると考えます。国家無くして、自己や家族、地域の平和はあり得ないのではありませんか?


【Sさん】
Hさん、エデンを「守る」は、「戦って敵を撃退する」の意味を持つ激しい言葉です。
 確か「戦う+平和」の合成語です。戦う気迫なくしては平和はありません。


【hさん】
 祝福家庭が「真の父母論」を聞くと、
全てを受け入れ信じる人、疑問に感じても寛容になれる人、どうでも良い人、良く分からない人、反論する人、色々です。

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