エロスがメインではありません
【hiratyuu】
文鮮明師の教えを私が探求して得た結論は、「神人愛一体」です。キリスト教の愛の概念であるアガーペとエロスの愛一体ですから、Sさんと異なった考えです。
驚愕なのは、人間の結婚式は、神様の結婚式であると言う「愛の理論」でした。。
【Sさん】
hiratyuuさんへ。結婚は「エデンを耕す愛アガペ、アガソスポイエオをさせる」為であって。エロスがメインではありません。エロスの考えを創世記2章に混ぜ込むは、的外れを意味する「大変な罪hamar」の考えです。
カルトは「多くの人間的な考えを聖書に持ち込む」面がある。結果、多くの人を不幸にするのです。自分達では聖書の教えに「はまっている」積もりだが。そうでは無い。「大変な大きな罪hamar」なのです。
聖書は人間にひたすら「愛アガペ、アガソスポイエオをせよ」と方っています。独身であろうとも。伴侶が与えられようとも「愛アガペ、アガソスポイエオをしなさい」と。それがメイン命令です。
その愛アガペ、アガソスポイエオ命令を軽視して捨てた事が最初の的外れ罪hamarです。耕すアガペ愛で無く、知識愛philosophia、stergen。あるいはエロス愛。
アダムはエロス愛に迷って、神のアガペ、アガソスポイエオ命令を捨てた、と考えます。即ちエロスの愛に迷って、妻を従わせ治める愛アガペをせず。
妻エバの言いなりになった。ロトに似ています。結果、アダムもロトも「エデンと財産を失いました」。神アガペで無く。夫婦エロス関係が中心になると「的外れの罪hamarをする」事になる。
創世記2~3章は、エロスは全くメインでは無い。エロス愛こそが「罪の原因」となっている。人は常に神がメイン。神の命令をアガペ愛して、アガソスポイエオせねばならない。その助手の為に妻が居る。
ボアズに「アガペ愛的なルツ」が居たようなものです。ボアズはルツに「アガペ、アガソスポイエオ精神を見て」妻にしたのです。
復活したイエスはペテロに「あなたは私をアガペするか。ならば私の羊を養いなさい。アガペ、アガソスポイエオしなさい」と命じました。イエスはアガペを命じた積もりでした。
だがペテロは意味が解らない。「あなたを情的にフィリアしています」と言った。情的にフィリア愛、エロス愛をして、アガペ、アガソスポイエオをしない。それではいけません。
家庭の主人がやるべき事はエロスでは無い。妻にも子供達にも、神の命令の「アガペ、アガソスポイエオを教える」事です。
信仰と希望と愛。その中で最も重要なのは愛アガペ。エロスやフィリアの愛では無い。アガペがしっかり全うされるなら、フィリアもエロスも全うされる。
統一はあまりにもエロスを強調して創世記1章に持ち込んでいる。それが大きな的外れ罪hamarです。その教えこそが、あまりにも人間的なカルトなのです。
神の言葉を間違って悟ってはいけません。神の言葉を悟る者は神の国を継ぐ。間違えると混乱をもたらすのです。神はイエスキリストのみ。
聖霊神格なる神を仰いで、悪を憎み退けるアガペ、アガソスポイエオをするなら、必ず素晴らしい人生を獲得する事ができます。そしてあなたもあなたの家族も救われる、を体験します。
【hiratyuu】
なるほど、有り難うございます。アガベ、エロス、フィリア、ストロゲーの愛は、元はアガぺの愛で一つであったと理解してよろしいでしょうか?
物質科学の標準理論では、
強い力、弱い力、電磁気力、重力の4つの力が「力の理論」を仮定し、宇宙を解明しようとしています。
元々は一つであった力であると。
家庭連合では、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟姉妹の愛、の4つの主体的愛(与える愛)が「神の愛」と定義しています。
即ち、家庭における「家族愛」が「神の愛」と説いているのです。
家庭の出発点は、夫婦合徳の一点が起源です。その場所に神様の愛が降臨するという夫婦合徳の思想哲学です。
この時、親(神)の愛、夫婦の愛が一体となる神人愛一体の合徳です。キリスト教の愛で表現すると、アガベとエロスの愛の一体になります。
教義の核心は、
神聖で神聖で神聖な男女の生殖器の価値観が、絶対です。
教義の理解不足で、途中下車する方もいます。
【Sさん】
強い、弱い、電磁、引力など、諸々の力が、神のアガペです。
フィリア、エロス、ステルゲンは人の「嗜好、思考、志向」的な愛、と言えます。神が愛アガペであるように、あなた方もアガペでありなさい。そこに集中するなら、神が自然に成し遂げて下さいます。
家庭連合の「父母~兄弟姉妹」は、情の愛です。アガペとは別。情は与える愛です。アガペは与える愛ではありません。未来に向かって建設創造する愛です。
与える愛でも無い。与えられる愛でも無い。未来に向かって「建設的に創造的に連帯する愛です」。出エジプトがそうです。与える愛では無い。与えられる愛でもない。未来に向かって連帯協力する愛です。
【hiratyuu】
そうですね。
アガベの愛は、文氏の説く、親の愛、父母の愛に近いのかもしれません。
【Sさん】
アガペは「親の愛、父母の愛」ではありません。それは人情的な「情の愛フィリア」です。フィリアは情に流されて、アガペをできません。
アガペは「強固に悪を憎み退け拒否して、強固にアガソス善に親結する」。有益繁栄に至るアガペを選択するには、相当な判断や祈りが必要。
フィリアは情のままに簡単にできる。アガペは「エバの誘い」に乗ってはいけなかった。強固に憎み退け拒否すべきだった。アガペは「親の愛、父母の愛」とは全く違う。
強固にキッパリ悪を憎み退け拒否せねばならない。悪と示されたら、強固に憎み退け拒否せねばなりません。
【hiratyuu】
そうですね。若いころ、人情でなく、天情に徹するようにと言われましたね。
【Sさん】
ごめんなさい。天情でもありません。多くの場合「神様の情、 イエスの情」で理解するでしょうが。「情」で理解してはいけない。アガペは「冷静に繁栄に至る」決断行動をする事です。
アダムは「エバ」に誘われた時、「冷静に繁栄に至る決断をして拒否すべき」だった。それがアガペです。絶対に情であってはいけません。
【hiratyuu】
私は、理系ですから、力学(熱・流体・振動・材料)を学ぶ機会が多くありました。現在は、量子力学が、高校の必修科目となっています。
原理では、これらの力学を統合する「愛の力」の原則が説かれています。 「力が存在するためには作用が必要であり、作用するためには主体と対象がなければならず、主体と対象は愛がなければならないというのです。」この愛の原則に、感動したことを覚えています。
これを反対に話すと、「ペア・システムは主体と対象の概念ですが、これがあるのは愛のゆえであり、愛の概念があって主体と対象があり、主体と対象があって作用し、作用があって力が出てくる」という原則に驚きました。
「愛は主体が対象に授ける情的な力」、と説かれています。
【Sさん】
私は物理は弱いのですが。アガペは神の「繁栄的に創造する力や意志や意図」で。アダムも「繁栄的なアガペ意図で決断」すべきだった。正しい決断をするなら「神が創造的な力、奇跡を体験する」。それが神のアガペ力です。
【hiratyuu】
私も、家系的な影響もあり、霊的な体験をしてきました。
原理は、宗教と言うよりも、
理論的、実証的な哲学思想と思っています。
科学の発展の恩恵は、計り知れない現代社会です。
宗教、思想、哲学も、発展する科学に対応できる理念が必要の時代が来ていると思います。
それは、愛の概念を科学的論理で構築できればと考えたりもしています。
キリスト教はじめ、多くの宗教の価値観、勿論、文鮮明師の原理も探求し、模索しています。
Sさんのアガぺの信仰理念も、とても勉強になっています。
有り難うございます。

【Mさん】
もし、アガペーの愛が言われている内容であれば、(真の愛)=完全な親の神の愛 =無償、無条件な愛=完全利他の愛という表現が神の愛に適応です。もっとも一般に言われている(アガペーの愛)は無償な無条件の愛、イエス様が十字架の上でも敵を愛して許していかれた愛に代表される愛と理解されていますが。
【Sさん】
Mさんの「真の愛」理解は、フィリア情の愛。ゆえに「親、無償、利他」となる。
フィリアは「子宮、情」。
アガペは「agathos-poieo繁栄に至る行動をする」の意味。繁栄行動した5タラントは「アガソスのしもべ」と言われている。
5タラントには「情的な行動は無い」。冷静冷徹思考の「繁栄に至る行動」をしています。フィリアとアガペは違う。
アガペには「情的なモノ」も含むが。悪には情は流されない。毅然キッパリ悪を憎み退けるモノがあります。
アガペは「冷徹冷静に繁栄に至る行動をする」のです。