進化論か創造論か②「種の区分は厳格」
人間とオラウータンが結婚しても、人間は生まれません。
「種の区分は厳格」です。

物質中心の唯物思想「進化論」と、それに対する「創造論」を比較し考察できる、文先生のメッセージを連載致します。
八大教材教本 天聖教 宇宙の根本 第一章 宇宙の根本秩序 四 進化論か創造論か 1.進化論の根本的な誤り (1) 種の区分は厳格、第三者の介入を絶対排斥
種の区分は厳格だというのです。アメーバから猿まで数千種がいるのです。進化論は、数千種の段階をすべて無視して、そのままこれを通ろうとするなら、すべてその種の雄、雌の門を通じて何千回も産んで子が出てくるのに、一度にすっと出てきたと考えるので、「これは間違っている」と言うのです。愛の門を通過しなければならない、ということを否定したのです。数千種の愛の門を、アメーバがどのようにすべて通過して人になることができるのかというのです。骨が同じだから同じなのですか。同じような骨はいくらでもあります。狂った話はやめなさいというのです。
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今日、この進化論を考えてみる時、種の起源を話せば、一つの種が生まれるにはそのまま生まれるのではありません。必ず雄と雌がいなければなりません。これは、鉱物世界も同じです。プラスイオンとマイナスイオンが一つになって、一つの物質を造成するようになっているのです。必す雄と雌の陽陰になっているのです。
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再創造は、環境の創造、主体と対象の創造、その次には対応的な発展、このようになるのです。進化論もこのように発展しなければなりません。ただ発展するのではないのです。主体と対象が一つになり、より大きなものに吸収され、必ず愛の門を通らなければならないというのです。このような原則によれば、愛のないアメーバからこの人間世界までは数千段階を経て行かなければならないのに、そのような愛の門をただ越えていくことはできない、このように思うのです。
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今日、進化論がいうには、アメーバが発展して、進化して人になったといいます。ここで考えなければならないこととは何ですか。雄雌が人間にまで到達するためには、数千段階の愛の道を通らなければならないということです。それを知らずにいます。種別の限界は厳格です。ところが、それがそのまま進んでいって進化するのですか。
つづく