堕落しないで完成していたならば、神様の体になる

hirachyuu

真言密教に、男女の愛や性を肯定する教えがあります。

理趣経(男女の愛欲を肯定する経文)

 密教は、男女の愛や性を肯定する教義をもっています。
 本当に愛する男女が、お互いに心から愛しあい、高め合い、肉体的にも、精神的にも結びつく事は、菩薩の境地であり、法悦であると いうものです。
 これは、人間の生を肯定し、女性への偏見も差別も無く、全ての人間が解脱出来る事を示したもので、大乗仏教としての密教の教えの先進性を示すものといえるでしょう。
 しかし、この考えは、下手をすれば、欲望を満たす事を追求すれば、法悦に達する事が出来るのだという誤解を 生じかねず、実際、立川流のような流派を生み出した事は、骸骨本尊で見た通りです。


●理趣経を廻って対立した最澄と空海

 真言宗を創設した空海と天台宗の創始者である最澄と、初めは、お互いに助けあって、密教の布教に力を尽くそうとしますが、途中で仲違いを起こし、決裂します。
 その仲違いが決定的になるのは、最澄が弟子を通じて、「理趣釈経」の借覧をねんごろに申し入れたのに対して、空海 が厳しい言葉を持って、それを断ったことにあります。


 なぜ、空海は、最澄の申し入れを断ったのでしょうか?


 この「理趣釈経」は、「理趣経」の注釈書で、「理趣経」には、先にあげたような欲望を肯定する教えが書かれていて、曲解をすれば、危険な方向に進みかねない教典でした。
 それを、ただ文を読むだけで解釈してもらっては困るというのが、空海の言い分でした。



 「夫(そ)れ秘蔵の興廃は唯(ただ)汝(なんじ)と我となり。汝、若(も)し非法(ひほう)にして(正しい手続きを経ずに)受け、我、 若(も)し非法にして伝えば、将来求法(ぐほう)の人何に由(よって)求道(きゅうどう)の意を知ることを得(え)む。非法の伝授せる、是(これ)を盗法 (とうほう)と名(なず)く。即(すなわ)ち是(こ)れ仏をあざむくなり。
又秘蔵の奥旨(おくし)は文の得ることを貴(たっと)しとせず。唯(ただ)心を 以(もっ)て心に伝ふるに在り。文は是れ糟粕(そうはく)(残りかす)なり。文は是れ瓦礫(がれき)なり。糟粕瓦礫を愛すれば粋実至実(すいじつしじつ) (純粋な真実)を失(うしな)ふ。真(まこと)を棄(す)てて偽(にせ)を拾(ひろ)ふ。愚人(ぐじん)の法なり。愚人の法に汝(なんじ)随(したが)ふ べからず、求(もと)むべからず」(高野山 超人空海の謎 百瀬明治 祥伝社より抜粋)
 空海は、誤った思想が生まれて来るのを予想し、怖れていたといえるでしょう。



理趣経 「十七清浄句(せいじょうく)」
妙適淸淨句是菩薩位 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
慾箭淸淨句是菩薩位 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
觸淸淨句是菩薩位 男女の触れ合いも清浄なる菩薩の境地である
愛縛淸淨句是菩薩位 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
一切自在主淸淨句是菩薩位 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
見淸淨句是菩薩位 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
適悅淸淨句是菩薩位 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
愛淸淨句是菩薩位 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
慢淸淨句是菩薩位 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
莊嚴淸淨句是菩薩位 ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
意滋澤淸淨句是菩薩位 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
光明淸淨句是菩薩位 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
身樂淸淨句是菩薩位 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
色淸淨句是菩薩位 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
聲淸淨句是菩薩位 耳にするもの音も清浄なる菩薩の境地である
香淸淨句是菩薩位 この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
味淸淨句是菩薩位 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である


          



文先生のメッセージ

【天聖教 宇宙の根本】


アダムとは何でしょうか。堕落しないで完成していたならば、神様の体になるのです。エバも、やはり神様の体になるのです。  
 神様の体になるのですが、男性はプラス側の体になり、女性はマイナス側の体になるのです。そして、二人が何を中心として結ばれますか。愛を中心として、生殖器を中心として結ばれるのです。内的な心の中に神様が入ってきているアダムとエバは神様の実体ですが、彼らが生殖器を中心として愛するようになれば、どのようになりますか。神様は誰を通じて愛するのですか。心は何を通じて愛しますか。体を通じて愛するでしょう? 
 同じように、神様が堕落していない完成したアダムに入られ、神様の家のようになったところで、神様が主人となった中で、二人が愛するのです。分かりますか。



・それゆえに、凹凸になっているというのです。形がそのようになっているのは、一つになるためなのです。それは恥ずかしいことではありません。それを中心として合体し、一つになるのです。愛を中心に一つの体になるのです。心身一体になるのです。男性と女性の心身一体は、何によって成されるのですか。キスではありません。手を結ぶことでもありません。そこを完全に合わせることによって完全に一体化するのです。


神様と人間がどこで出会うのですか。男性と女性が一つになって愛する時間、生殖器を中心として一つになる時間に会うのです。これが堕落したために、世の中を滅ぼし、天地を滅ぼしたのです。それゆえに悪いものになりました。男性と女性が愛する時、神様を迎えにいくのだと考えなければならないというのです。下半身を見る時、「どうやってこの器官を、愛を中心として連結させようか。どのように奉仕して歓迎しようか。どうすれば真の愛を中心とした夫婦生活をすることができるだろうか」と毎日考えなさいというのです。私の体がそのような位置にいるのです。
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