そうだったのか、創立以前の内的教会史

hirachyuu

今朝の訓読は、「み旨と世界」の創立以前の内的教会史でした。


 30年後の今になって、先生のところに来てこう言うのです。「先生が30年前に言われたことが今分かりました」と。
 あなた方も同じことで、先生が今語っていることが、30年後に実現されてその時理解される、ということも多いことでしょう。


 最近、つくづく、そのように感じます。
年を取ったからなのかもしれませ。


30年前の11月
1994年11月19日「日本女性幹部16万教育大勝利」祝賀会、韓国
(教会手帳)



創立以前の内的教会史
◆摂理の中の女性(二)霊的メシヤの花嫁
 韓国に、神の摂理歴史において中心となる代表的な女性が現れなければなりません。「私の夫は神であり、イエス様です。そして神とイエス様と常に交流しています」という、選ばれた女性が現れなければならないのです。

 そしてある女性が選ばれ、「あなたは真の妻であり、母であり、女王である」という啓示を絶えず神から受けていました。その女性は、普通の人が見ても美しくはなく、あまり苦労しましたので顔色も青ざめて栄養失調のように見えますし、常に山に祈りに出かけてむしろ惨めな者に見えました。しかし心の中ではいつも、自分はイエス様の母であり、妻であり、花嫁であるということを感じていました。そして彼女が、「メシヤの妻となるために準備しなさい」という啓示を受けるのです。ところが神が彼女に啓示を与える時に、そのメシヤなる人は、息子のようでもあり、夫のようでもあり、王のようでもあるというように、三つの立場をもつ者として啓示されました。

 実際、メシヤが来られる時、メシヤたる者は王として現れるのではなく、人間の基準として最低の所から、最も惨めな僕の僕の立場で現れ、そこから出発します。メシヤはまず、「僕の僕となれ」という啓示を受けて、その人生を人類の僕の僕として出発するのです。またメシヤは、二つの面における完成を全うする使命をもっています。一つは霊界に対してであり、霊的な地獄から天の王座という最高の立場にまで霊的に上がっていくことによって、全霊界の解放者となるべき使命です。

 ですから先生はまず霊的地獄からその路程を出発し、不敗不屈の霊的勝利者として天の王座にまで上がり、霊界において主管者であることを宣言し、それからまた実体として地上に下りてきて、実体的な地獄生活を出発し、同じ道をずーっとたどって頂点まで上がっていくのです。

 実体的な摂理路程においては、メシヤは神によってではなく、エバによって祝福され、生み直されなければなりません。その備えられた女性を見いだしたなら、まずそのエバによって祝福されなければならないということです。ですからその女性が初めて主に会う時は、彼女に仕える僕の立場にあります。

 人類の代表たるアダムでありながら、なぜ僕であるのかというと、エデンの園における堕落において、男性は女性を主管すべき立場であったにもかかわらず、女性に主管されてしまいました。ですからその主管性転倒を復帰するために、信じられないような仕え方でその女性に侍っていくのです。考え得る限りのことを、その女性の体を洗うことまでもして僕として侍らなければなりません。
 その女性は自分の夫より、息子より先生を信頼しました。
 

◆歴史を生きるメシヤ
 そうするうちにこの女性は、「あなた(男性・僕の僕は天使界を意味する)はもう既に僕の道を卒業しました」という啓示を受けました。メシヤは僕の立場から出発しますが、僕の段階は旧約時代に当たります。そこから養子の基準、実子の基準と上がり、それから夫の段階へと進みます。

 このようにある人がメシヤとして来た場合、その人自身の一生の間に、旧約から始まり新約、成約というように、全人類史を通過しなければならないのです。そしてその路程を通じて、メシヤにおいてあらゆる段階が全うされなければなりません。すなわち、僕の立場も、養子の立場も、実子の立場もすべて全うし、さらに夫の立場、父の立場、そして最後に王の立場まで全うして、それらの各段階で完成しなければならないのです。

 一人の男性において、この全プロセスのすべてが通過されなければならないというわけです。しかもその過程においては、神が主管するのではなく、女性が主管していきます。そのために選ばれた女性は、メシヤを僕の段階から次第に最頂点にまで引き上げながら、自らも僕段階から、養子、実子段階と全歴史内容を横的に通過し、完成していかなければならないのです。

 しかし彼女を非常に混乱させたことには、絶えず神の啓示が下りて、各段階を卒業したという告知がたった四十日間に立て続けにあったのです。どこにいても神の声が聞こえてきて、次々と前とは違ったことが啓示されました。まず、「彼はあなたの僕だから僕として彼を用いなさい」と言われたかと思うと、次の日には、「彼はあなたの息子だから息子として愛しなさい」と言われますし、その翌日には、「彼はあなたの夫だ」という具合なのです。そしてついには突如として、「彼はあなたの王であるから彼を王として(彼に)仕えよ」という啓示が来たのです。

 メシヤが歴史路程の各段階を最高の立場で完成し、全歴史路程を横的に通過した時、初めてメシヤとして夫、王の位置に立つことになり、今度は女性のほうが、男性の前に僕の立場から完全に服従していかなければなりません。しかし彼女は、先生を王として侍ることを願わなかったのです。むしろまだ僕として使うことを願ったからです。それが原理を知らなかった彼女には最高の立場に思えたからです。

 イエス様も初めは、洗礼ヨハネから祝福を受けて侍る立場でしたが、一度主管性転倒を復帰してその段階が終わると、完全に主体は逆転します。再臨主においても、僕の段階を完成して主管性転倒を復帰すると、完全に女性を主管し、命令する立場に立ちます。

 これまでこの女性が与えた祝福は、すべて霊的なものでしたが、一度男性が王の立場に立つと、彼女は神の器として、僕の位置から出発し、養女、娘、妻、女王の立場と上がっていかなければなりません。そして女性のほうもすべての段階に勝利して、今度は男性がメシヤの立場において実体的祝福を与えることになります。この女性の場合も、一度主管性の転換がなされると、絶対的に服従する立場に立ち、そうしなければ彼女自身の責任分担を果たせないことになるわけですが、彼女にとって、それは容易なことだったでしょうか?

 先生は原理を知っていますから、通過すべき路程はつぶさに知っていますし、今どこを通過しているかも分かりますが、この女性の方はただ啓示を受けただけで、盲目的にその啓示に従ってきただけであり、原理は全く知らなかったのです。何しろついこの前まで、「その男性は僕である」という啓示を受けていたのが、しばらくするとすぐ、「この男性はあなたの王である、彼に服従しなさい」というのですから、原理を知らない彼女の心はますます乱れ、今や完全に混乱してきました。

 彼女はそれでも神への絶対的な忠誠を示して使命を果たすべきだったのですが、絶対服従ということは、その時の彼女にとって容易なことだったでしょうか。彼女はまるで神様から裏切られたかのように感じてしまったのです。今や神様は私をお見捨てになったのだ、とその女性はその場で気が狂ったようになってしまいました。「どうしたというのでしょうか、神様、あんなにも私を愛しておられたのに、今になってこんなにひどい扱いをなさるとは」と狂ったように先生の周りを回っては、「あなたはサタンだ、サタンに違いない、あなたを殺さなければならない」とサタン扱いし始めたのです。

 しかし一度メシヤが主の立場に勝利している以上、その女性がどういう立場に立とうと、メシヤの勝利は不変であり、摂理は不変であります。もし彼女が悟って悔い改めないならば他の女性が代わって摂理されるだけです。

           

           親子    
     

◆創立以前の内的摂理
 これらのことは、外的な教会が創立されるまでの内的な経過として、外的な教会史の始まる背後に隠されていた象徴的、内的な摂理であり、肉身世界に現れるまでに、霊界を通じてなされたものです。

 先生がひとたび、このような内的な勝利基準を立てると、今度は実体的に目に見える形で世界に現れることができます。そして実体的に僕の立場、養子、実子、夫、父、そして王の立場まで勝利していきます。主自身の肉的な一生の間に、六〇〇〇年の全縦的歴史が横的に蕩減されなければならないわけです。一九四七年に先生の公的伝道期間が始まる以前にこれまで述べた内的摂理の経過があったのです。

 今はすべて実体的に現れてきましたから、あなた方も主が来られたことを知っています。それは、既成の常識的な思考法からは何と異なった、革命的な事実でありましょうか。

 一九四七年から統一教会の公的な復帰が始まる一九五四年までの七年間は、統一教会が実に信じ難い苦難を通過した期間であり、この七年間に実体的な組織を発足するための実体的な条件を立てるために北韓共産陣営での苦役等、言語を絶するようなあらゆる苦難を通過したのです。それによってこの七年間にすべての基台が立てられて、一九五四年には正式に世界基督教統一神霊協会の創立に至りました。

 今まで語った路程は、先生がたった一人で歩んだ寂しい孤独な道でした。共に行く友も、支える者も、理解する者もいない孤独な闘いを、先生は闘い抜いたのです。今まで共に歩んでも、本当に先生を理解できる者は誰もいませんでした。三十年前に韓国の古い食口たちに語ったことも、誰も本当には理解できませんでした。彼らは、知的には分かったけれども、心情的には分かっていなかったのです。そして三十年後の今になって、先生のところに来てこう言うのです。「先生が三十年前に言われたことが今分かりました」と。あなた方も同じことで、先生が今語っていることが、三十年後に実現されてその時理解される、ということも多いことでしょう。

 今なお孤独な先生です。人間なら行きたいとは誰も思わない孤独の極限の道です。しかし神御自身がたった一人で孤独な方であることをよく知っているがゆえに、先生は子として責任をもってその使命を引き受けたのです。


 真の復帰の道は決して安易な道ではありません。それは実に困難な道であります。先生についてくることも困難なことです。

×

非ログインユーザーとして返信する