(72)「愛」は「氣」なのかなぁ?独生女神学に染まると!

hirachyuu

      
 東洋思想(哲学)の「氣」の概念について考察しました。


 「やる気」を持って物事に取り組むと、思った以上の良い結果が出たり、「火事場の馬鹿力」など、必死で物事を行うと「思わぬ力」が出たりします。
 武道の「心技一体」という言葉は、心と技(体)は一体であり、その「心の状態」により、勝敗が決まることが良く言われます。
 その「心の状態」の変化・高揚・変化するエネルギーのことを「氣」と称し、感覚として実在するエネルギーであると理解できます。
 しかし、この「氣」というエネルギーは物理的な数値や数式で表すことはできません。
 「気合が入る」という言葉もあるように、
 「気合いだ、気合いだ、気合いだ!」と叫ぶ格闘家の方を思い出します。


  

      


      
 それでは、東洋思想の「氣」の概念は、「愛の力」の概念と共有できるのでしょうか?


 文鮮明先生のメッセージに記載されている「愛の力」の理論を文献として考察します。


 「愛の力」の理論には「愛とは主体が対象に授ける情的な力」とあります。よって、
①「愛とは情的な力」
②「愛を授けるのが主体」
③「愛を受けるのが対象」
と理解します。


また、
「あらゆる存在を作っている主体と対象が、良く授け良く受ければ力を発生せしめる」と有り、
その力の作用のことを「授受作用の力」と記されています。


一方、東洋思想(易学)では、
 生命活動に必要な要素の一つである「氣」の概念を、
「氣血水論」として体系化されています。
「氣」は見えないエネルギーで、元氣、根氣、やる氣、鋭氣など末尾の語句の「氣」です。
「血水」は物質として、血管を流れる血液と、透明の体液(胃液、唾液、リンパ液、尿)などを言います。
「気血水」の流れが脈々とバランス良く流れる様相を「健康」と称し、「病」は、この「気血水」の流れが不足したり、滞ったりして引き起こされると考えます。

 東洋思想(医学)の健康観は、目に見えない「氣」のエネルギーと、物質として見える「血水」のエネルギーが、「気血水論」として論じられています。


 生命活動の源である「氣」の流れが良くなると、「血水」の流れも良くなり健康になります。「氣」は「心」で「主体」あり、
「血水」は「体」で「対象」の関係にあると言えます。
 「氣」の概念は、「愛の力」の概念と共有できると考えます。
       

       



陰陽五行説について
 東洋思想「易学」の「陰陽説」では、森羅万象すべてが「陰性の氣と陽性の氣」の太極(無極)から生成されたと主張します
 表裏、内外、前後、左右、高低、強弱、抑揚、長短、広狭、東西、南北など、すべて「主体」「対象」の相対的関係で存在の様相を論じています。


 また、「五行説」においても、宇宙の根本の太極(陰陽)から「木火土金水」の五行が生じ、五行から万物が生成されたと主張します。
 主体である「太極」から、対象である「五行(万物)」が生成されたとする存在の様相を論じています。


以上より、
 「氣血水論」や「陰陽五行説」の存在の様相も「主体・対象の関係」として論じています。
 結論は、”「氣」の概念は、「愛の力」の概念と共有できる”
となります。



 「真の父」は完全主体格の位置であり、「真の母」はその主体に対して完全対象格の位置です。
 父と母は真の愛の統一体として、モデル的理想家庭を築いた真の子女を通して、勝利した実体の「真の父母」となります。
 生涯、対象格であるべき「真の母」の位置の女性が、反原理の独生女神学によって、主体格に転じてしまいました。

清平の像が、その証拠物件です。


 フェミニスト 神学 、クィア神学と同化した独生女神学です。これらの神学に染まった妻を持つ男性は、受難の道を行くことに、私もです。

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