㊿ 「金儲けと信仰と幸福」クリスチャン編

hirachyuu

【Sさん】【Kさん】【Yさん】【Mさん】;クリスチャン
【私】;hirachyuu


ご注意)
国会議員、クリスチャン、旧統一教会の方、超宗教の方、考え方は多種多様、右から左まで様々あります。【Sさん】【Kさん】【Yさん】も【Mさん】も【私】も、その一人として意見交換した内容です。


【Mさん】
 「金儲けは、自分向けの信者を沢山作ることだ」と社長訓辞で言われた。


【Sさん】
Mさん。ナルホドです。
 牧師は「神信者を作らず、自分信者を作る」と大教会が立ちますね。カルト教会と同じです。
 大教会の牧師ほど「私を拝め」と威張っている傾向があります。「私を拝んではいけません、神を拝しなさい」という牧師は謙虚です。
 大衆は「権力を拝む」傾向があるが。私は「神だけを拝しなさい。私を拝してはいけない。私は人に過ぎない」の姿勢。「自分信者を作る」事に罪を感じます。
 信仰は「神とあなた」です。人を「神」に立てて、餌食にされてはいけません。「諸は、言を駆使して集める」の意味です。
 教会の場合。諸に人は「言葉を駆使して信者を沢山作れる」牧師の事。大教会に誘われて牧師になった私は
 上司牧師から「私が給料を払っている。私を拝め」の態度を受けて悪と判断。「悪を退けて距離を置く」アガペを実践(ローマ12:9)。
 彼からパワハラを受けて分離しましたが。結果的には大いに祝福されました。 
 人が信仰を持つのは神の働きかけによるのですが。彼は「自分を誇って」高慢になっていた。人望を集めて大教会になっていましたが。
 私は無理。足の塵を落として、神のみを救い主とした貧を体験しましたが。結果的には大いに祝福されました。
 神のみを救い主として、アガペ=アガソスポイエ的に行動しなさい。神が奇跡を起こして祝福します。
 人を拝んではいけません。


                          



【Kさん】
信じる者と書いて儲ける
人の夢と書いて儚い
人の為と書いて偽り


【私】
統一教会の経典に、以下のことが書かれているのですが・・・、

   
 元来、信仰は、各自が神を探し求めていく道であるので、それは個人と神との間に直接に結ばれる縦的な関係によってなされるのである。それにもかかわらず、法王と僧侶の干渉と形式的な宗教儀式とその規範は、当時の人間の信仰生活の自由を拘束し、その厳格な封建階級制度は、人間の自由な信仰活動を束縛したのであった。そればかりでなく、僧侶の僧官売買と人民に対する搾取によって、彼らの生活は一層奢侈と享楽に流れた。したがって、法王権は一般社会の権力機関と何ら変わりない非信仰的な立場に立つようになり、彼らは国民の信仰生活を指導することができなくなったのである。このように、中世封建時代の社会環境は、人間の創造本性を復帰する道を遮っていた。ゆえに、このような環境の中に束縛されていた中世の人たちは、本性的にその環境を打ち破って、創造本性を復帰しようとする方向へ向かって動かざるを得なかったのである。


【Yさん】
そのことは組織という階級社会では当然の出来事。


【私】
統一教会も然りでした。


【Sさん】
Tadashi さん
 「神と個人」は私の考えに似ています。出エジプト以前のエジプトでは「家族と神」でした。出エジプト教会=集合はその連合隊。
 教会=集合は敵には連合する。敵がいない時は自由分散信仰する。現在の教会は「カナン目標」では無く。「求道者伝道目標。礼拝目標」になっています。それがキリスト者の第1目標だろうか?。「現実カナン目標は罪」かのように、薄められている。
 家族信仰や個人信仰よりも、教会組織重視が目標になっている。信仰はあくまでも「神と個人」。教会は「個人家族が必要とした集団」。メインは個人家族の「幸福」と考えます。


【私】
有難うございます。同感です。すべての宗教は組織重視の信仰でなく、『個人家族の「幸福」』を目標とし、宗教を超えた視点で歩調を合わせる現代版「宗教改革」の時代が到来していると考えます。

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