生命の起源を考える時

hirachyuu


【科学が挑む】この宇宙は“本物”なのか?仮想現実論の最前線


動画の哲学編から(40分35秒~)


そもそも生命とは何なのか?という哲学的な問いです。

生命の起源を考える時、哲学的段階では、どの段階を持って生命と呼ぶのでしょうか?


生命とは情報が自己保存をはじめた時?

この根源的な定義問題を避けて通れません。

何故なら、何を持って生命が誕生したとみなすのかは、

私たちが生命をどう定義するかによって、変ってくるからです。


生きているとはどう定義されるのでしょうか?


 生命の定義として有名なのは、NASAのワーキンググループが提案した二つ、

「自己維持し、ダーウィン進化が可能な科学システム」

「自分で自分を維持・複製し、進化できるもの」です。

この定義では、火は自己維持(燃え続ける)はしますが、遺伝的進化はしないので生命ではありません。

ウイルスは進化するけれど、自己単独では増殖できないので、厳密には生命に当てはまらないと判別できます。

他にも、代謝・恒常性・刺激に反応・増殖・繁殖して遺伝形質を伝達・集団として進化、などがあります・・・


生命か非生命か、自己増殖するロボットやAIが登場すれば、生命の定義は、更に揺らぐのかもしれません。


「どの段階を持って生命と呼ぶのでしょうか」

 生命とは何かを定義すること自体が、私たちの存在論や価値観にかかわる深い問題なのです。





文先生のメッセージ

【八大教材教本 天聖教 宇宙の根本 進化論か創造論か】


 進化論をどのように撃破しますか。学者を中心としてその進化論が問題です。進化する前、猿の雄、雌も進化してそのようになりましたか。どうですか。雄、雌は進化してできましたか。すべてのものが、鉱物世界はプラスイオンとマイナスイオンであり、植物世界は雄しべと雌しべであり、あの昆虫世界の小さな虫もすべて雄、雌ですが、この雄、雌は、進化して生まれたのですか。

 進化論者に雄、雌が生まれた起源とは何かと尋ねてみてください。それを何だと答えますか。繁殖するためであり、愛するためだということを否定できません。

              *

 進化は、どこから始まったのですか。これが問題です。今日の若い知性人たちは、この問題に引っ掛かり、このわなから抜け出すことができずに、すべて地獄に行っているのです。進化はどこから始まったのかといえば、アメーバから始まったというのです。進化なのか、神様が創造した調和なのか、この二大論理が文総裁によってきれいに整理されます。進化論は、神様を否定する共産党の無神論が作り出したものです。進化論は、科学世界に途方もない被害をもたらした怪物です。それは処断しなければなりません。進化がアメーバから始まったとするなら、それより何十万倍、何百万倍も小さなそのような世界を顕微鏡で見ることができますが、そこにいる菌の雄、雌は、アメーバがいる前にいたのでしょうか、あとにいたのでしょうか。

              *

 一つ知らなければならないことは何ですか。進化論よりも愛というものを中心として雄、雌が先にあったのでしょう? この進化論が問題です。進化して雄、雌が生じましたか、進化する前に雄、雌が生じましたか。愛という内容を中心として実体が生まれたのです。愛ゆえに生まれました。男性と女性、雄と雌が一つになるのは愛のためです。進化というものはあり得ないというのです。進化する前に愛のコンセプトがあって実体が生まれたので、進化という言葉は、男性と女性、雄と雌にはふさわしくないというのです。愛ゆえに生まれました。

              *

 進化論がキリスト教を破壊させるのに、どれほど貢献したか分かりません。しかし、今、進化論を私の手で握りつぶすことのできる時代が来たというのです。進化論を信じますか、信じませんか。文総裁の話を信じますか、進化論を信じますか。今、整理して越えていかなければなりません。これはうそだというのです。愛の力は何千万代を経るのに、アメーバがそのまま何千段階の愛の門を通って人になることができますか。アメーバ自体がそのような能力、飛翔天することができるそのような資質をもつことができますか。

                     


 今、世界の主流思想から見るとき、概念と実在が哲学世界の二大主流になり、有神論と唯物論、左翼と右翼の闘争によって世界に及ぼしたその被害は莫大なものです。左翼思想というものは、進化論によって世界的に覇権をもつようになりました。男性と女性という概念が先ですか、愛が先ですか。男性と女性がいる前に、愛という概念が先にありました。愛が先にあったので、男性と女性もそこに準備してその愛の概念に一致するようになっているというのです。それゆえに、概念と実在は分かれるものではありません。このように、概念と実在が愛によって一つになることができる、ということを共産主義は分かりませんでした。 


                   


 共産主義も「神様がいる」と言って帰ることができる、そのような思想的概念をどこで取り戻すのかというのです。絶対的に唯物論を、絶対的に進化論を否定することができるように確定しなければならず、心と体が一つになることができるように確定しなければならず、理想的出発を自分から始めなければならないという、このような基準をどのようにしてつくるのか、統一するのかという問題が世界史的問題です。


              *


 一般的に人々は、人間が動物界から進化したと考えます。それは、仕方なく作った方便的な理論です。論理的に連結させるために仕方なく方便的にくっつけたものであって、本当に進化したかということは知ることができないというのです。私たちの精神的底辺がアメーバから始まったのですか。精神的先祖がアメーバなのかというのです。進化論では、アメーバから出発してすべて発展したというのです。



 アダムにエバを造ってあげたのは、何を造ってあげたということですか。寂しいということで女性を造ってあげて良しとされたのですが、何を中心として良しとされたのでしょうか。女性の何ですか。生殖器です! 凸の前における凹です。凹をつくってあげたのです。アダムはアダムなのですが、エバを何のために造ってあげたのですか。目、鼻、顔ですか。何をつくりましたか。アダムのために、エバの何をつくったのかというのです。凸のために凹をつくったのです。アダムとエバのその場所には愛の源泉があるので、それをつくったのです。凸のために凹をつくりました。最も価値があるもの、愛の根本だということを知らなければなりません。


×

非ログインユーザーとして返信する