霊性が高いですね
本来日本は神仏習合
そこに戻ればすべてがうまく行く。
【Yさん】
そこを間違った宗教はいらない。
【SOさん】
本当に日本人は霊性が高いですね。西洋的な理屈で白黒ハッキリしなかったとしても感覚的にどうするべきかがわかるのですからね。喧嘩をしないのが究極の選択だという話です。
【hirachyuu】
熊野本宮大社には、神様と仏様が仲良くいらっしゃいます。
「神を父 仏を母に いただきて、熊野より興さむ 出発(たびだち)の時」

【SOさん】
そうなんですね。ありがとうございます。
新宿西口の公園内にも熊野神社ってありますよ。分苑というか…ですね。
【hirachyuu】
文先生は、中和的主体(創造原理)の「愛の統一体」として存在される神様のことを、「夜の神様」即ち「父なる神」「縦的真の父母」と表現されました。宇宙論のビッグバン以降の目に見える「昼の神様」は「横的真の父母」「母なる神様」と表現されました。ビッグバン以前の「夜の神様」は、人類始祖アダムの身体を通して最愛のエバを愛したかった「神人一体の愛の理想」(愛と生命と血統の愛の器官凸凹の一体)を成そうとされました。しかし・・・霊的堕落・・・
【Nさん】
神仏習合・本地垂迹説
【hirachyuu】
反本地垂迹説(ウィキペディア)
鎌倉時代中期には、逆に仏が神の権化で、神が主で仏が従うと考える神本仏迹説も現れた。仏教から独立しようという神道側の考えから起こったものである。
伊勢神宮外宮の神官である度会氏は、神話・神事の整理や再編集により、『神道五部書』を作成、伊勢神道(度会神道)の基盤を作った。伊勢神道においては、現実を肯定する本覚思想を持つ天台宗の教義が流用されて神道の理論化が試みられ、さらに空海に化託した数種類の理論書も再編され、度会行忠・家行により体系づけられた。
反本地垂迹説は、元寇以後の、日本は神に守られている「神の国」であるとする神国思想のたかまりの中で、ますます発展していった。
南北朝時代から室町時代には、反本地垂迹説がますます主張され、天台宗からもこれに同調する者が現れた。慈遍は『旧事本紀玄義』や『豊葦原神風和記』を著して神道に改宗し、良遍は『神代巻私見聞』や『天地麗気記聞書』を著し、この説を支持した。吉田兼倶は、これらを受けて『唯一神道名法要集』を著して、この説を大成させた。しかし鎌倉期の新仏教はこれまで通り、本地垂迹説を支持した。
【Nさん】
天照大神の本地は大日如来。
【hirachyuu】
「古代日本原記」日本人の先祖と建国黎明期の歴史 京都大学農学博士「山下重良」著には、以下の神社系譜の研究結果が記されていました。
【国立国会図書館 ID 025067251 請求記号 GB167 ‐L57】日本書紀と大きく異なります。

2017年ごろ、公開されていたPDF資料を持っています。

【Yさん】
児島(現倉敷市林)の新熊野山(いまくまの)熊野権現は公卿山伏として上皇や法王の先達をしていました。明治の神仏分離で熊野神社と五流尊瀧院とにわけられていますが、今も山伏の総本山です。役行者の弟子達が開いたところです。
【hirachyuu】
Yさん。熊野本宮大社周辺は、役行者の弟子達が開いた地で、年に5~6回も大水が出る所と聞きます。渡来人にとって、温暖な吉備の地や、筑紫の国、豊国・火の国(肥の国)・日向の国の方が住みやすく、政治・文化・信仰の発祥地と考える方が良いのでしょうか?
【Iさん】
千葉の影響かな?
【Yさん】
児島新熊野は役行者の弟子達が逃れ頼って行ったところです。
福岡村〜金属加工集団があったところです。
【Iさん】
まぁ千葉の神社
こそ始祖かな?
【hirachyuu】
歴史は、100人いれば、100人の視点がありますね。( ´艸`)