お経を読むようなスタイル・・・
神様は、人格を持たれ、喜怒哀楽、心情の神様であると、文先生から教わりました。
長年の朝訓読は、お経を読むようなスタイルで続けて来ましたが、ここ数年は途中で立ち止まり、語られた時代の天の摂理を振り返ったり、文先生の心情を探し求めたり、一言一句の意味を考えたり、自らの当時の歩みを重ね合わせたり、思いの付くままに話すことが多くなっていました。年を取ったからなのでしょうか?
家内から、「次を読みましょう」と催促されることもあります。(^^)
文先生の心情の一端に触れ、神様の心情が溢れ出て来て、言葉に詰まることがあります。当時、摂理の傍観者であった自らに
気付かされる連続です。
終戦後、昭和天皇がマッカーサー元帥と初めて対面なされた
時のエピソードが思い浮かんできました。
天皇陛下ご夫妻は、日本国民の横的真の父母の位置にいらっしゃると・・・
昭和天皇とマッカーサーの絆!アメリカ訪問時、米国民の心を鷲掴みにした昭和天皇のスピーチに感動
訓読によって、求めている答えが与えられ、感動の一日の出発に感謝の日々です。
宗教と科学、歴史、根本の話、霊界など、一般社会に流れる情報と八大教材教本とを比較しながら、その共有点・整合性を探し求めていると、訓読の時間があっという間に過ぎてしまいます。

先週頃から、「縦的・横的・父子・父母」と言う文言の意味を「天聖教 宇宙の根本」を探究し考察しています。
文先生のメッセージ
・父子関係の真の愛は縦的であり、夫婦の真の愛の関係は横的であり、兄弟の真の愛は前後の立場として、球形の真の愛理想を願われたのです。すなわち縦には上弦下弦、横には左弦右弦、前後には前弦後弦、それをすべて連結した一つの中心点で統一がなされるのです。その点が球形体の中心点になるのです。いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのかというと、神様を中心として、人間が結婚して初愛を結ぶ位置が、すべての完成の結実点であり、中心になるのです。したがって、結婚は天地人の合徳であり、縦横、左右、前後、全体を完成するのです。結婚は、真の子女、兄弟、夫婦、父母の理想の、そして真の愛の完成地なのです。
・すべての天の秘密は、文総裁が明らかにした内容でなければ解決する道がありません。ここにいる二人の人が私を紹介する時、「真の父母になった」と言いましたが、真の父母とはいったい何ですか。真の父母はどこにいるのですか。天にいます。神様が真の父母です。
今日の人類、堕落した世界のすべての宗教は、神様のことを「父」と言います。天地を創造されたその主人が正に父です。
誰の父ですか。私の父です。私の父なのですが、父の内容の中で、何を中心として父子関係になりましたか。神様の愛です。
そして、神様を中心として、堕落していないアダムとエバの生命が愛に連結されるのです。
・神様は何をもっているかといえば、男性的性稟と女性的性稟をもっていらっしゃるというのです。二性性相の主体という言葉が出てくるのです。それで、統一教会は、「二性性相の主体が神様である」という素晴らしい結論を下すのです。
見えないものがプラスであり、見えるものがマイナス的父母です。見えない父母が原因的であり、見える父母は結果的です。ゆえに、愛を中心として一つになるのが父母の位置ですが、神様は見えない父母であり、これは見える父母です。これは何かというと横的父母であり、これは縦的父母です。
・はっきりと知らなければなりません。このようなことは図書館にもない話です。これは、初めて文総裁によって天国の図書館に記録されて保管されるというのです。うそではありません。妄想的な話ではありません。
神様は誰かといえば、縦的な父です。堕落していないアダムとエバは横的な父母です。神様は、二性性相で存在する全てのものの縦的な父母です。そして、アダムとエバは横的な父母になるのです。それでは、彼らはどこで出会うべきでしょうか。真の愛は直短距離を通るのです。
・縦横がどこで一つにならなければなりませんか。天地合徳がどこで展開するのでしょうか。縦的な基準の前で展開するのです。愛が行く道は直短距離を通ります。これがどこで定着するのかという問題が、非常に苦心した問題でした。宇宙の根本を解明するときに、縦的な愛と横的な愛があるということを知りました。
・アダムとエバの結婚式の日が、その場を中心として神様の結婚式の日になるのです。一つの縦的な結婚式であり、一つの横的な結婚式になるというのです。
すべて生殖器を中心として、男性と女性が絶対愛に着地すると同時に着地の中心に来るので、神様の愛を中心として一つになるのです。そのようになったならば、神様のように心を中心として統一がなされたはずです。
・神様と人間の愛が連結されるところを本郷の地にして帰ろうとするのです。そこがどこかといえば、男性と女性の生殖器です。神様の愛と人間の愛がどこで始まるのでしょうか。アダムとエバの生命と愛と良心と血統の根である神様は、間違いなく縦的な立場から横的な位置のアダムとエバ、彼らの性相と形状が一つになったその中にすっと入っていかれるのです。ですから、アダムとエバの結婚式は、神様の結婚式なのです。男性と女性がもっている生殖器は、神様を解放して神様を完成させる器官です。ですから、神様がお父様になるのです。縦的なお父様、横的なお父様は完成したアダムです。
・神様とは、いったい誰ですか。神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。完成したアダムとエバは、真の愛を中心として横的な父母です。その二つの父母が一体となるのです。愛するその場所で、縦横が一体になるのです。そこは愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮です。それが男女の生殖器です。
・それによって、神様御自身が神様の息子、娘を生むのです。神様の子女です。皆さんは、二つの父母から生まれたのです。その縦的な父母の相対的な立場に立ったのが良心です。そのような面から見るとき、良心は縦的な自分自身です。肉身は横的な自分自身です。縦横が何によって一つになりますか。真の父母の愛、創造主の真の愛によって一つになれば、心と体は絶対に闘わずに一つになるのです。
・神様の創造理想もそのような愛を中心として結びつくことであり、人間の男性と女性も成熟してそこで愛の結着点が展開して、生命が連結されるのです。ですから、生命によって連結されるのではありません。愛によって連結されるのです。縦的な父の愛と横的な夫婦の愛を中心として、本然の愛の種が初めて連結されるというのです。