何故、指を落とさざるを得なかったのだろう?
30年以上前のことでしょうか?
教会内で、アラスカ精神が良く語られていた頃だと思います。
・宿泊施設に、K先輩が訪ねて来られました。
男性4人と一緒に、2時間ぐらい話を伺う中、一つだけ記憶に残っていることがあります。
話の終わりに、K先輩の指が2本無い事を見せてくれたのです。
切断した指の1本は、ある方に郵送したそうです。
それでも変わらなかったので、2本目も郵送されたそうです。
当時の私は、K先輩の深い心情を知る由もありませんでした。
・同じ頃、N先輩と1対1で話す機会がありました。
手首を見せて下さり、数カ所の傷跡がありました。
自らで傷つけたと伺いました。
当時の私は、N先輩の深い心情を知る由もありませんでした。
今朝の訓読「み旨と世界」に書いてありました。
◆聖人の道 この世界のすべてを知り、そのすべてを超え得た先生の心は、もはや何ものによっても動かされることはありません。巖のごとく固く立った先生です。自らの指を切って血で誓約を書き、先生の前に忠誠を示さんとした多くの女性たちもいました。宗教的試練を乗り越えるということは実にたやすい業ではありません。 周囲に押し寄せてくるすべての誘惑を乗り越えて、基台を築いてきた創立に至るまでの苦難には、実に計り知れないものがあります。そして先生がすべての十字架を越えて勝利したその結実に、今あずかっている自分たちであり、神と先生の前に一言も言えないあなた方であることを知るなら、常に自らを謙虚な感謝に満ちた立場におくべきです。それは、あらゆる摂理的勝利を成した今もなお、先生が神の前にもち続けている姿勢でもあります。 この七年路程が、かかる苦難の結果としての恵みであることを知ったのですから、この期間をあらゆる体験をなす絶好の機会と思って、呪われ、嘲けられ、飢え、打たれ、迫害されるすべての体験を貴重なるものとしながら、「そういう体験があったからこそ、私は神と先生とイエス様の心情を知ることができました」というような歩みをなしたいものです。 先の大戦で、国家と家族のため、散華された若者たちの心情の一端を復帰できる時が近いのかもしれません。 |
